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『カレンシー・レボリューション』立ち読み 第1081〜1140段落

本ページで『カレンシー・レボリューション』 第1081〜1140段落を立ち読みいただくことができます。

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 そして杜月笙は、感謝のことばではなく、「知道了(ジーダオラ)(わかりました)」とだけいって電話を切った。

 エドマンドはキャセイ・ホテルをでて外灘(バンド)の道を南に向かって歩いている。

 まだ朝が早く、東の低い位置にある太陽が黄浦江に沿って建ち並ぶ建築群の壁面を照らしている。

 外灘はこの時間が最も美しい、とエドマンドは思っている。正面を東に向ける摩天楼たちが朝陽を浴びて鏡のように白く輝くのだ。

 十月中旬となり、黄浦江から吹く風が爽やかに頬をなでる。日本の猛暑にうんざりしたのは遥か遠い地での、ずっと昔の体験だったようにも思える。

(いやいや、そうではない)

と、エドマンドは顔を左右に振った。

 日本はこの国と国境を接した隣国であり、わずか一ヶ月前にはそこにいたのだ。そしていま、日本のことを知るために日本人に会いにいこうとしている。

 エドマンドが歩いて向かっているのは聯盟通信社の事務所である。協力の姿勢をみせようとしない日本は放っておいて幣制改革を進めたいとも思うのだが、イギリス外務省の強い意向があり、そうもいかないのだ。ミーティングでリース=ロスが「日本はいったいなにを考えているのか。本心を知りたい」とぼやいたとき、宋子文が「日本人のジャーナリストの友人がいる。彼に訊いてみてはどうか」といった。そこでエドマンドがその日本人に会ってみることになったのだ。

 相手の名は小島譲次。子文はアメリカ留学時代に小島と知りあったそうだ。公正な視点をもつ新聞記者で、政治的なしがらみもなく日本のことを話してもらえるのではないか、とのことだった。

 外灘の道路を隔てた向こう側に双翼を広げたビクトリア像が朝陽を背に受け立っている。

 その足もとに女性が立っており、微笑むビクトリアを見上げている。

 エドマンドは立ち止まった。

 横顔しかみえないが、若い。少女というべきか。しかし背丈はあるので十代の後半だろうか。真っ白で滑らかそうな頬が動いている。ビクトリアに向かってなにかを話しかけている。ときおり口を噤み、また話し始める。ビクトリアと会話をしているのだ。なにを話しているのかはわからない。しかしふたりは確かに対話している。

 みられていることに気づき、少女がエドマンドのほうをみてはにかんだ。

 エドマンドはポークパイ・ハットに軽く手をあてて会釈した。

 少女の笑顔は、あどけなく、輝いている。

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 エドマンドはエドワードⅦ路(現延安東路)との丁字路で右に折れた。

 聯盟通信社の事務所には、まだ出勤時間には早いためか、小島のほかには誰もいなかった。

 小島は自分で緑茶を淹れ、エドマンドの前に置いた。

 エドマンドは緑茶をひとくちすすってから来訪の目的を話した。

「われわれは日本の立場を重んじて、カナダ経由でまずは日本にはいり、中国経済援助について意見を求めました。広田外相や重光外務次官、津田大蔵次官らと会見しましたが、日本政府の態度には全く失望しました。中国が満洲国独立前から保有していた債務の一部を満洲国が負担すれば国民政府に満洲国を承認するよう説得してもいいとまで申しでたのですが、それも一蹴されました。中国経済復興のためには資金が必要であり、中国経済が復興すれば中国に多くの権益をもつ日本は大きな利益を得るでしょう。加えて、日中関係の癌というべき満洲問題が解決されるのですから、日本は飛びついてきてもよさそうなものなのに、なぜ拒絶するのでしょうか」

「その点について僕の考えをお話しする前に、ひとつ教えていただけませんか。なぜアメリカを避けるようにカナダ経由できたのですか」小島は人好きのする笑顔でいった。「すいません。新聞記者なので、聞いた話のなかに疑問点があると訊かずにはおられなくて」

「構いませんよ」とエドマンドは笑って、「わが国もアメリカも、リース=ロス卿がワシントンにいくことを望まなかったのです」

「どうして」

「ご存知のとおりグレート・デプレション以降各国が金本位制から離脱し、為替マーケットは極めて不安定となっていますが、わが大蔵省は、リース=ロス卿が中国の問題以外、例えばポンドの為替レートの問題などについてアメリカと論じ、なんらかの約束をさせられてしまうような事態を避けたいと考えたのです。アメリカ側は国務省がリース=ロス卿の来訪を望まなかったのですが、どうやら、大統領の命で財務省が中心となって実施している銀買い入れ政策について、とやかくいわれてもどうにもならない、という事情のようです」

 小島は「なるほど、なるほど」といってメモをとりつつしゃべり始めた。

「大使館の情報部長と親しくて、ときおり密かに公電を読ませてもらっているのですが、リース=ロス卿と広田外相との会見で外相は、中央政府の力が弱い中国では銀本位制を離脱して管理通貨制度に移行しても失敗するのは必定で、中国に対してローンを与えても軍事費に使用されてしまうと話していたようですね」

「そうです。広田外相の態度が、イギリスの提案は全く話にならない、というつれないものであったことは公電には記されていなかったのではないかと思いますが」

「外相が話した内容が日本政府の公式見解ですね。そしてその背景には天羽声明があります。ローンが実施されイギリスの指導のもとでカレンシー・リフォームが実行されれば、イギリスの中国経済における影響力が大いに増すことになるので、日本政府としてはそれを阻止しなければならない」

「多少わが国の影響力が増したところで、それがなんだというのです。ゼロが一になるのではなく、十が一増えて十一になったところで大した違いはないでしょう。カレンシー・リフォームの成功によって日本も利益を得るし、満洲国承認の利益は莫大で、わが国の影響力が増すことにより失うものは圧倒的に小さいと思いますが」

「そうですね。僕もそう思います」

 エドマンドは緑茶を口にして、

「日本の要人たちのいうことは理解できず、そのうえ猛暑で、日本での滞在にあまりいい印象はもたなかったのですが、緑茶は別ですね。苦みがなく、砂糖をいれなくても口のなかにほのかに甘さがひろがる。日本を離れる前にいくつか買っておけばよかった」

 小島はカップのなかの緑いろの波紋をみつめて、

「日本茶と中国茶と貴国の紅茶とを比べれば、発酵茶である紅茶は日本茶よりも中国茶に近い」

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といって、カップをテーブルに戻してから、

「ローンが実現すればカレンシー・リフォームは成功する。そう考えておられますか」

と訊いた。

「そうですね。おそらくは」

「カレンシー・リフォームが実現すれば、この国は確実に強くなる。間違いないですか」

「むろん、そうでしょう」

「そこですね。ポイントは」

「そことは?」

と、エドマンドは首を傾げた。

「日本軍はカレンシー・リフォームにより中国が強固になることを恐れているのでしょう」

「新通貨がグレート・ウォール(万里の長城)となることを恐れている、そういうことですか」

「そうです」

「通貨にそれほどの力はないですよ」

とエドマンドはいったが、子文が、幣制改革により中国は強くなり、それにより、きたるべき日本との戦争に備えるのだといっていたことを思いだした。

 小島がいった。

「この国がどうにもまとまりきれないことが日本につけいる隙を与えています。しかし南京政府のもとで発行される通貨があまねく国内にゆきわたればこの国はひとつにまとまる。軍はそう考えているのでしょう」

「日本軍は中国への領土的な野心のためにローン供与に反対しているということですか」

 小島は黙ってうなずいた。

 エドマンドは中指のつけ根を噛みながら考えた。考えに集中するときに指のつけ根を噛むのは昔からの癖である。

 エドマンドは日本での要人たちの表情を思いだした。誰も彼もが、借款はおろか、中国のことすら話題にしたがらなかったのは軍を憚ってのことだったのだろう。外相がわれわれの提案を頭から否定したのは、軍の意向に沿った発言をしたのか。

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