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『カレンシー・レボリューション』立ち読み 第1921〜1980段落

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 モーゲンソーは施肇基を指さして「焦りすぎだ」と不快感を露わにし、三十分近くも怒鳴り散らした。

 施肇基は頭を垂れてモーゲンソーの怒りが鎮まるのを待ち、怒り疲れて口調がわずかに柔らかくなったときを見計らい、銀買い取りの条件を示すよう願った。

 モーゲンソーは不機嫌な表情のままで条件を示した。口頭でだが、中途でまったく詰まることなく述べたので事前に考えてあったものだろう。モーゲンソーは施肇基にその場で書き取らせメモランダムを作成させた。

 その内容は五項目である。

〈合衆国は銀一億オンス購入を申し入れ、かつ、条件によってはさらなる購入も検討する〉

〈売却により中国が得た資金は通貨の安定のためのみに使用される〉

〈中国は三人の専門家から成るスタビリゼーション・コミティー(安定委員会)を設置し、委員のうちのひとりはチェース銀行、もうひとりはナショナル・シティー銀行から選出することを紳士協定として約束する〉

〈中国が銀売却で得た資金はニューヨークに預託される。預託先はアメリカの銀行とする〉

〈中国通貨は、中国政府の定める一定額の米ドル、または一定量の金・銀との兌換が確保される〉

 このメモランダムに対する中国側の回答が施肇基によってモーゲンソーに届けられたのは十一月四日(月曜日)朝である。

 このとき中国はすでに十一月四日の夜であり、すなわち幣制改革実行後であった。施肇基が完全合意を待たずに改革を実行せざるを得なかったことを再度詫び、モーゲンソーが再び「焦りすぎだ」と不快感を露わにするという前週末と同じやりとりがあったあと、施肇基は、アメリカからの要望のうち中国側が承諾できるのは、四番目の銀売却資金をニューヨークに預託することだけである、とおそるおそる述べ、さらに小声で、

「本国から、銀購入に加えてローンを依頼するよういわれています」

とつけ加えた。

 モーゲンソーは施肇基の胸のあたりをさした指を振りながら、

「どうであれ、われわれのカネを引きだせると思っているのだろう。おまえたちはわれわれをサッカー(sucker 騙されやすい青二才)だと思っているのだろう」

と刺々しくいった。

 モーゲンソーは怒りを抑えなかったが、ひとは弱みがあるときにこそ怒ってみせる。アメリカには中国にマーケットで銀売却をされ銀価格を崩されたくないという事情があり、また、中国での存在感を強める日本と、ポンド・リンクを目指すイギリスへの対抗もある。ローズベルト大統領、財務省、国務省の間で検討がなされ、アメリカは十一月十三日に五千万オンスの銀購入を決定する。

 中国側との調整を経て、購入代金は一オンス当たり六十五セント5/8から輸送費を差し引いた価格とし、引き渡し期限は翌年二月十一日とすることが妥結された。また、十一月二日にモーゲンソー財務長官が示した条件のうちの資金用途を為替安定に限ることと、資金はニューヨークに預託されることの二項目に加え、スタビリゼーション・ファンド(安定基金)の使用状況をアメリカ側に報告することが合意された。

 すなわち、元のドル・リンクは約束されなかった。会見では威丈高のモーゲンソーに対して施肇基の姿勢は低かったが、国としての事情は中国に分があった。改革を実行してしまった中国にマーケットで銀を売られてはこまるアメリカは早急に銀購入を決めねばならず、ドル・リンクの条件を取り下げざるを得なかったのである。

 ここに長きに渡った中米間の銀売却交渉が終結した。アメリカへの銀売却はこの後も第二次、第三次と続き、一九三七年の日中戦争勃発まで合計で一億八千七百万オンスが売却されて、その代金は法幣安定に寄与することになる。

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 遡って考えれば、中国経済は、アメリカの銀政策によって翻弄され、銀本位制からの離脱を余儀なくされたが、早くから銀本位制離脱の必要を感じていた宋子文にとっては、アメリカの政策が彼の改革をあと押ししてくれたようなものだった。銀売却交渉では紆余曲折を経たものの、アメリカの銀政策のおかげで中国は所持する銀を高値で外貨に交換することができた。そのうえ、交渉が順調に進まないうちに汪兆銘が襲撃されるという大事件が発生し改革を急遽実施することとなったために、ドル・リンクも約束しないで済んだのだった。

 一九三五年十一月四日月曜日、幣制改革が実行された。

 中央、中国、交通の三銀行発行の紙幣が法幣とされて、三銀行以外が過去に発行した紙幣は財政部が期限を定めて回収が進められることとなった。

 現銀の使用が禁じられ、公私の一切の契約や取引は法幣に限ることとされた。過去に銀を単位としてなされた契約も、決済は法幣によってなされなければならない。

 銀は、使用のみならず保有も禁じられた。銀貨や銀塊に加え、銀含有率が三十%を超える銀器や銀工芸品についても三ヶ月以内に全国の金融機関や公共機関で法幣に兌換しなければならない。

 そして、外国為替市場において中央、中国、交通の三行は無制限に介入をおこなって法幣の価値の安定をはかる。

 幣制改革実施直後より内外の新聞や雑誌が論評を掲載した。中国国内のものも、日本を除く諸外国のものも、その多くが幣制改革により中国経済は安定、発展するであろうとし、幣制改革の意義を認めた。

 一方で日本国内の論評は概ね批判的だった。東京朝日新聞は十一月四日に〈日本の諾否を待たず出し抜いた英国外交〉、十一月五日には〈日支関係先鋭化を敢て無視する南京側〉という見出しの記事を掲載した。東京日日新聞も十一月五日に〈英の金融制覇ならば日支提携に一大暗影〉という見出しの記事を載せている。つまりは、幣制改革の経済的意義を論じるのではなく、「イギリスが日本に断りなく中国を支援し幣制改革を実行させた」と怒っているのだった。アジアにおける欧米の関与を排除せんとするアジア・モンロー主義の観点からの批判なのだが、仮にアジア・モンロー主義が妥当な考え方であるとしても、幣制改革はイギリスからの借款もポンド・リンクの約束もなく実行されたものであるので、日本各紙のなした批判は全くまとはずれのものだったといっていい。

 上海駐在陸軍武官の磯谷廉介少将は、アジア・モンロー主義とは異なる観点からの批判をおこなった。

 十一月八日、磯谷少将は声明を発表し、〈イギリスに對する嫉妬とか支那が日本を出し抜いたとかいふ些細な問題でなく〉〈支那四億の民衆の破滅を来たす〉ものであることから幣制改革に断固反対であるとした。破滅を来たす理由としては、〈事前に何等必要な準備なく〉、改革を企画実行するために必要な〈信頼すべき人物〉がいないことを挙げ、〈改革は早晩おそらく数ヶ月をい出ずして破綻する〉と断言した。そして、〈改革案を中止せしめることが支那を救う唯一の途〉であるとし、上海においては日本の銀行は銀引き渡しを拒絶し、華北においては、現銀を上海に送らず〈国民政府の統制下にある北支那の銀行においてこれを保管〉するよう〈北支那の実力者〉が指導すべきであり、もし〈北支那の実力者にしてその能力のない場合は我方は実力を以てしても各遂行してよいと信ずる〉とした。磯谷少将は国民政府への現銀集中を阻止し、華北の指導者がそれをなさないのであれば日本軍は実力行使をする、と恫喝したのだった。アジア・モンロー主義をもちださなかった点では妥当ではあっても、幣制改革失敗の根拠は全く脆弱といわざるを得ない。結局のところ磯谷少将の声明からは、日本軍が幣制改革の成功により中国が頑強になることを恐れ、中国の統一が進み華北分離工作に負の力が加わることを懸念していることを窺い知ることができる。

 日本の、幣制改革は失敗するとの期待に近い予想ははずれることになる。

 幣制改革直後より為替は安定し、貿易量が増え、生産活動は上昇、物価はゆるやかに上昇した。数字で示すと、幣制改革のなされた一九三五年から翌年にかけて、工業の閉鎖件数は半減、電力消費量は十%増加、綿糸取引量は二・五倍と激増、鉄道・船舶輸送量は二十%増となった。恐慌といってもいい状態にあった中国経済は、幣制改革を機に一気に回復に向かったのである。為替相場の安定がいかに経済にとって重要かを示している。通貨制度の変更がこれほどまでに短期間で大きな成果をもたらしたことはあとにも先にもないかもしれない。

 中国は幣制改革により強くなった。

 国民政府の確固たる支配下にある地域は南京、武漢、重慶といった上海を除く長江流域であり、上海は欧米諸国、華北は日本、南部は軍閥、中西部は共産党の勢力が強く、中国はいわば分裂状態にあった。しかし、国民政府が独占的に管理する法幣が全土にゆきわたることにより、中国の、少なくとも経済的な統一は大いに深まった。また、通貨が銀にリンクしなくなったということは、通貨発行という形で政府が全国から資産を吸い上げることが可能となったことを意味している。国の総力を軍備に向けることも可能となった。きたるべき日本との対決に備えて、中国は通貨という武装をしたようなものであった。

 つまり、磯谷少将の声明から窺える日本軍の懸念は現実のものとなる。

 日本は日中戦争勃発の直後から法幣に戦いを挑む。最終的には円、法幣いずれもハイパー・インフレーションに陥ってしまうのだが、少なくとも序盤戦については、法幣は頑強に抵抗し、円は敗北を続けることになる。それは日本の太平洋戦争における敗北の一因ともいえるのだが、このカレンシー・ウォーの顛末については、また別の物語に譲らなければならない。

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 幣制改革の二ヶ月後の一九三六年一月、リース=ロスは同盟通信社上海支局長の松本重治の車で上海共同租界を西に走った。

 向かうのは武定(ウーディン)路にある陸軍武官室である。幣制改革を妨害することを宣言するかのような声明をだした磯谷少将に、その真意を問いたいと思い、松本に磯谷への橋渡しを依頼したのだ。また、日本の銀行が銀拠出に応じる気配をみせず、それは明らかに軍の指示に従っているためとみられることから、軍を一度説いてみようとの考えもあった。

 玄関で待っていた中国人ボーイに連れられて松本とともに応接室にはいりソファに座るやいなや、磯谷が補佐官をふたり伴い部屋にはいってきた。

 磯谷は意外にも陰りのない笑顔で握手を求めてきた。

 磯谷が紹介した補佐官ふたりの顔をみると、「またお会いできて光栄です」といったのは、東京での重光外務次官との会見の際に会った森尾陸軍三等主計正であった。森尾は、古い友人に会ったかのような笑みでリース=ロスの手を握った。

 松本重治の通訳を通じておこなわれた会談は、ときおり冗談も飛びだし、なごやかな雰囲気だった。

 そのきっかけとなったのが次の会話である。磯谷が日本と中国、イギリス、アメリカの関係を例えて、

「日本は青年です。たいへん精力的かつ誠実な青年で、美しいミス・チャイナを深く愛しています。しかしミス・チャイナはいつもイギリスとアメリカばかりに媚びて、日本のアプローチをすげなく断り続けています。腹をたてた日本はイギリスとアメリカに対して、『手を離せ。僕はミス・チャイナと結婚したいのだ。邪魔をするんじゃない』といっているのです」

といい、それに対してリース=ロスは思いつくままに、

「日本はミス・チャイナと結婚したいと思っているというよりも、レイプしたいと思っているように私にはみえます」

といった。この棘のある冗談は磯谷のユーモアのセンスにぴたりと合致したようで、磯谷は豪快に笑い、それ以降、腹のなかをさらけて話すようになった。

 リース=ロスが、

「数ヶ月以内に改革は破綻すると予言されたようですが」

と皮肉をぶつけると、磯谷は苦笑し、

「改革が軌道に乗るであろうことはわかっていましたよ」といって、森尾を指さして、「この男になんどもそういわれていましたから」

 リース=ロスが森尾をみると、森尾は目をあわせるのを避けたのか、首を小さく垂れた。

 リース=ロスが磯谷に向かい、

「日本の銀行に対して国民政府に銀を引き渡すよういってはいただけないでしょうか。カレンシー・リフォームが成功すれば中国経済は改善され、利益を受ける国としては日本が一番で、わが国はその次です。改革の完成のためにわが国と日本が協力してやっていくべきだと考えるのですが」

というと、磯谷は、

「協力については、ここで手放しの賛意を表すことはできませんが、あなたと私とのあいだの意見交換だけなら今後も続けていくことに大賛成です」

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