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『カレンシー・レボリューション』立ち読み 第2041〜2100段落

本ページで『カレンシー・レボリューション』 第2041〜2100段落を立ち読みいただくことができます。

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 森尾は笑って、

「そうまじめに考えないでくれよ。僕も本気で思っているわけではないよ。ただ、もしきみらが元レート急落と汪兆銘暗殺未遂事件により追いこまれたのではなく、それらを利用してカレンシー・リフォームを実施したのだとしたら、元レート下落を演出した僕はまるでサーカスのクラウンだ。きみはカレンシー・リフォーム実施までは僕が勝っていたといったが、僕は最初から負けていたということになる」

 森尾はそういって、左右の手を交互にゆっくりと上下に動かし、へたなパントマイムのような動きをしてみせた。そして続けて、

「まあ、その後の中国経済の好調を考えれば、いずれにしても僕の負けは負けなのだがね。ここまでのところは」

「ここまでのところは?」

「まだセカンド・ラウンドが終わったところだからね。勝敗を述べるには早すぎる。勝負は四日目のバック・ナインまでわからない」

「日本の昔の軍人は潔さをたいせつにしたそうだが、いまの軍人にはあてはまらないのかな」

 森尾は「ふっ」と笑い、

「中国農民銀行に紙幣発行権限が与えられたそうだな」

といった。幣制改革においては中央、中国、交通の三行にのみ紙幣発行が認められたが、この二月に財政部は、発行額の半数を農村救済事業に充てることを条件に中国農民銀行に紙幣発行を認め、それは三行の法幣同様に扱われるとした。

 エドマンドは森尾のいわんとすることがわかり、

「ああ、そのとおりだ──」

と、語尾を弱めていった。

「つまりは、蒋介石はカネのなる木を得たわけだ」

 中国農民銀行はその名が示すとおり農業向け融資等を通じて農村経済を振興することを目的としているが、軍事委員会の主導で設立された銀行であり、すなわち蒋介石の強い影響下にある。

「それはどうだろうか。中国農民銀行の紙幣発行は一億元までに制限されている」

「中国農民銀行にも紙幣発行を認めろと蒋介石に執拗に迫られた財政部は、なんとか一億元までという条件をねじこんだのだろう。孔祥煕の汗をかく顔が目に浮かぶようだ」

「まあ、そうだな。多少違うところもあるが」

 エドマンドは子文からその経緯を聞いている。孔祥煕は蒋介石のことばにたやすく応じてしまったそうだ。汗すらかいていないに違いない。子文は怒りをあらわにしていたが、財政部長の椅子を孔祥煕に譲っている彼には一度決まった決定を覆す力はない。

「そもそも蒋介石は、改革実行後は元と銀とのリンクが断ち切られると聞かされ、ならば紙幣をいくらでも刷って軍事費を賄うことができるじゃないかと思って改革に賛成したのだろう。ならば一億元までという条件に納得できるわけがない。そんな条件、すぐにあってないようなものになるさ」

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 この森尾の予想はのちにあたることになる。翌一九三七年二月に財政部は各行の紙幣発行額の検査を始めるが、その時点で中国農民銀行の紙幣発行額は一億六千万元を超えていた。日中間の緊張の高まりに伴い発行額はさらに増え、日中戦争開戦直前の同年六月の時点では二億元に達した。この数字は交通銀行とほぼ同額である。農業むけ専業銀行であり、かつ農村むけ地方銀行でもある中国農民銀行の紙幣発行額が総合銀行のそれと肩を並べるというのは異常であった。

「きみのいうとおりだ。中国農民銀行の件は大変危惧している」

「前途は多難だな」といったあと、森尾は、「幸運を祈るよ」と風に消されそうな声でつけ加えた。

「いまなんといった。『幸運を祈る』といったように聞こえたが」

とエドマンドが訊き返すと、森尾は、

「実は陸軍大学校の教官に転出することになった。もう僕はきみの勝負の相手を務めることはできない」

「そうだったのか」

「実は少しほっとしている」

 エドマンドは意味を捉えあぐね首を傾げた。すると森尾は、

「ゴルフ場のカウンターできみにいわれたことがちょっとこたえた」

 エドマンドはあの日の会話を思い起こし、

「ああ、なるほど。ドクター森尾」

といって、森尾の肩を軽く叩いた。

 森尾がワイン・グラスを口に運びながらエドマンドの肩越しに列車の西側をみて、「おっ」と声をあげた。

 エドマンドが振り返ると、そこには夕陽を浴びて朱色に染まった富士があった。

 ふたりはそのまましばらく黙って富士の姿をみつめた。

 森尾がエドマンドの背中にいった。

「きみはリース=ロス卿が国に帰ったあとも上海に残るそうだな。新通貨制度のゆく末をみまもり為替レートとインフレーションを監視することが仕事なのだろうが、大変な仕事になるぞ。なにしろ相手は蒋介石だ。きみがいくら声を張りあげても声が届く相手ではない」

 エドマンドは森尾に向きなおり、

「相手は蒋介石というよりも、蒋介石の敵である日本というべきなのではないかな。まだ僕は二ラウンドをプレーしなくてはならない。手持ちのゴルフボールが足りればいいが」

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と笑うと、森尾は、

「僕の予想ではサード・ラウンドもリーガル・テンダーの優位が続くよ。それだけきみたちがつくりあげた通貨は頑強にできている」

「認めてもらい、光栄だ」

「しかしおそらく最終日で円は巻き返す」

「最終日のバック・ナインにまでもつれこむか」

 エドマンドはそういって振り返った。

 赤みを増していく富士が座っている。

 美しさよりも、恐ろしさを感じさせる、そんな富士である。;

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