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『カレンシー・レボリューション』立ち読み 第241〜300段落

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 中国の不況の最大の要因がアメリカの銀価格吊り上げ政策であり、すなわち通貨問題であることは誰の目にも明らかだ。にもかかわらず、不況の原因を他に求め通貨問題に触れようとしない広田の発言はいかにも不自然だった。

 そう思ったのだろう、傍らでふたりの応酬を聞いていた重光次官が口をはさみ、

「アメリカの銀政策による銀価格高騰。これが解決されない限り、中国は経済的苦境から脱することはできないでしょう」

 重光が銀問題に話題を振ったところで、リース=ロスはそれに乗じていった。

「そうです。銀価格高騰。それが中国の不況の元凶です。しかしアメリカが政策を変更しない限り中国経済が救われないわけではありません。銀との関係を裁ち切ればいいのです。未熟な通貨制度を変革するのです。カレンシー・リフォーム。それによって経済再建をなすことができます。ただ、銀本位制を捨てて金本位制かポンドやドルに連動する外貨本位制を採用するためには、金かポンド・ドルなどの外貨を対外支払い準備として充分に確保しておかなくてはなりません。前財政部長の宋子文は国外から借り入れようとしていますが、中国はデフォルトの危険が大きく、担保とするものもほとんどありませんので、ロンドンで起債してもそれをすすんで買おうとするものはいないでしょう」

 ここでリース=ロスはいったん区切り、はっきりとした咳払いをしてから、

「債券の発行による資金調達ができないとなれば、中国経済を崩壊から救うためには国が主導して中国に資金を貸し与えねばなりません」

といった。天羽声明に抵触する中国への借款をもちだしたのだ。中国への借款についての下交渉がこの日本訪問の最大の目的であり、リース=ロスは広田の目をまっすぐにみた。

 リース=ロスの話を無表情で聞いていた広田の顔色が変わった。それをみてリース=ロスは、

「その際には日本の了解を必要条件としましょう。かつ、資金の使途を経済再建に限ることとしようと考えています」

と、日本の立場に配慮することばをつけ加えた。広田はリース=ロスの目をみずに、

「いまの中国に資金を与えることが適切な外交であるとは思えません。軍事に浪費されるだけです。その資金で整備された銃は共産主義のみならず、われわれに向けられることになります」

「ですから資金の用途を経済面での使用に限るのです。そういう条件をつけることは可能と考えます」

「いや、中国が経済面で資金を必要とし、われわれが経済面に限って使用するようにといって資金を提供しても、結局は蒋介石が横取りしてしまうでしょう。蒋介石と宋子文が不仲となったのも、どうやらそのあたりが理由のようではないですか」

 二年前の一九三三年、宋子文はロンドン世界経済会議出席のために外遊し、帰国直後に財政部長を辞した。辞任の理由は宋子文がロンドン、ニューヨーク、ワシントンと、中国への援助を求め駆けずりまわっているとき、厳格な金庫番である宋子文が留守にしていることをいいことに蒋介石が共産党討伐のために上海の銀行から勝手に資金を調達し、その支払いのツケを、さも当然のように宋子文にまわしたから、といわれている。ふたりのあいだで激しい口論となり宋子文の顔面を蒋介石が殴りつけたと噂されているが、その真偽は当事者であるふたり以外にはわからない。

 なにをいってもまずは否定からはいろうとする広田の態度にうんざりしつつ、リース=ロスはみずからの考える中国幣制改革案を披露した。

 ところが広田は、

「それは満洲国での通貨制度の改変に似ているようですが、政府の力が弱く、民衆が各々勝手に経済活動をしているいまの中国では到底無理でしょう」

と無下にいった。

 リース=ロスは、自分の来訪はまるで歓迎されていないと感じていた。ただ、幣制改革の実現可能性については広田の認識不足であり、数か月ののちには広田は自分のことばの間違いを恥じることになるだろう、と思っていた。

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 リース=ロスは満洲問題に話題を移した。

「満洲国の独立は中国の財政収入を著しく減らしました。満洲国建国宣言は満洲領土内の債務を継承すると謳っていますが、それでは最も高貴な国際的ジェンティリティ(上品さ)に達しているとはいえません」

 広田と重光が顔を見合わせた。リース=ロスの曖昧な表現がわかりにくかったのだ。しかしリース=ロスは構わず続け、

「満洲領土内の債務に限らず、独立前からあった中国の債務の一部を満洲国で継承することとすべきです。わが国と日本で満洲国に対して共同でローンをおこない、満洲国は中国の債務の一部を負担するという名目でその資金を中国に対して支払うのです。中国がこの資金を受けることは、それはすなわち満洲国が中国の国土から分離したことを認めることを意味します。日本は満洲国の実質的承認を得ることができるのです。中国は財政再建とカレンシー・リフォームに必要な資金を得て、わが国も、日本との摩擦を避けつつ、多大な権益を有する中国経済の建てなおしを図ることができます」

 広田は眼球を細かく動かし、明らかな動揺の色を浮かべた。

 リース=ロスは内心でほくそ笑んだ。イギリス、日本、中国の三方ともに利があるこのスキームには大いに自信がある。

 広田は傍らに座る重光と小声でことばを交わしたのち、

「興味深い案ではあると思います。ただ、蒋介石以下の要人は、満洲国はもはや承認するほかないと考えています。それなのに国内の反発勢力の顔色をみて敢行できないでいるだけなのです。国民政府は満洲国を実質的に承認しているも同然です。詰まるところ、われわれは満洲国問題の現状に満足しており、承認取りつけの運動を積極的におこなう必要があるとは考えていません。向こうから歩み寄ってくるのをただ待っていればいいのです」

 スキームの意義を認めながらも、またもや否定的なことばを述べる広田に不快感を覚えたリース=ロスは口調を強くして、

「閣下が在中国公使を大使へと昇格したことなどで日中関係は一時的に改善しました。ところが、その直後の華北でのふたつの協定により反日感情は以前にも増して高まっています。満洲国問題をこのまま放っておけば日中間で大きな紛争が起きるのは必定ではありませんか」

 列強諸国は従来中華民国に大使を置かず公使を置いていたが〝協和外交〟を掲げる広田は諸国に先立ち五月に公使館を大使館に格上げした。ふたつの協定とはいわゆる〝土肥原(どいはら)・秦徳純(しんとくじゅん)協定〟と〝梅(うめ)津(づ)・何応欽(かおうきん)協定〟のことで、日本が中国側軍隊の河北省、察哈爾(チャハル)省からの撤退等を求めた協定である。

 リース=ロスはひと呼吸おき、広田の目をまっすぐにみて、

「失礼ながら、閣下の認識は十分ではないと申し上げねばならない」

とつけ加えた。しかし広田は、

「中国に渡られたあとに各方面と接触して、中国の状況をぜひ研究してみていただきたい」

と、さらりとかわし、会見の終わりを促すかのように、うわべだけの笑みをみせた。

 早朝の日比谷公園。

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 エドマンド・ホール=パッチは樹木に覆われた遊歩道を歩いている。

 帝国ホテルの正面に広がる緑深いこの公園を諸々の思考を巡らせながらゆっくりとひとまわりするのがこのところのエドマンドの日課である。

 心地のよい風が木々の間をぬけていく。

 エドマンドにとって、この朝の散策が一日の唯一の安らぎの時間だった。東京も早朝だけは、なにかに対して怒り散らしているかのような暑さを和らげる。

 エドマンドはポークパイ・ハットのつばを指先で押し上げ、枝葉のあいだを通してみえる青空を見上げた。

 東京に着いてから十二日目になる。先週は日本到着前から組まれていた日本政府要人との会見があり、その事前準備等もあって忙しかった。しかし週末が近づくと、日本到着後におこなった会見申しこみに対する日本政府からの回答を待つだけの状態となった。一日じゅう、なにもなすことがなく過ごさねばならないこともあった。

 その間に知ったことは日本は非常に暑いということだけだった。エドマンドはタイ政府の財政顧問としてバンコクに駐在したこともあるが、東京の暑さはタイとは異次元だ、と思った。蒸し暑い。とにかく蒸し暑い。日中に太陽のしたに立てば、三分もしないうちにスコールに遭ったかのようにシャツがずぶ濡れになってしまう。夜の寝苦しさは人間のできる我慢の限度を明らかに越えていると確信した。

 先週の日本政府要人との会見がいずれも不調だったことが日々の暑苦しさを増した。われわれの提案に対する賛同の声は一切得られなかった。それどころか満洲問題については口にするのも憚られるというような感じだった。横浜正金銀行の頭取などは、中国については全く触れようとせず日本の金融事情についてばかり話していた。中国通貨制度についての意見交換ができたのは高橋是清大蔵大臣と深井英五日本銀行総裁だけである。高橋は、中国は銀本位制のままで元を銀に対して切り下げるべきであるといい、深井は、銀本位制から離脱してドルかポンドにリンクする外貨本位制に移行する以外に有効な手はないと述べた。しかし、このふたりも中国への借款の問題については論じたがらなかった。

 要するに、誰とも今回の日本滞在の目的である共同借款についての論議ができなかったのだ。いってみれば、会見の目的と関係のない雑談ばかりをしていた。

 英日で共同して満洲国に融資し、満洲国は中国の債務を一部肩代わりすることとして融資で得た資金を中国に支払うというスキームはエドマンドが考案したものである。中国は幣制改革に必要な資金を得て、日本は満洲国の実質的承認を獲得し、イギリスは日本との摩擦を避けつつ多大な権益をもつ中国経済を立てなおすことができるこのスキームを思いついたときは、興奮して思わず拳を突き上げたほどだった。リース=ロスはこれに飛びつき、蔵相、首相の承認を経てイギリス政府提案のスキームとなった。

 砂のうえに建てられた家のように、国際関係のなかで満洲国が極めて不安定な位置にあることは理解しているつもりだ。ゆえに、日本がこのスキームを受け入れるまでには紆余曲折を経なければならないだろうとは思っていた。しかしそれは日本国内でのコンセンサスづくりに時間を要するだろうということで、先週の要人たちとの会見のように、ほとんど顧みられないとは考えていなかった。

 エドマンドの知らないなにか特別な力が裏に存在しているような、そんな感じがしている。

 このところリース=ロスはみかけるたびに浮かない顔をしている。使節団長のそんな態度もこのチームに流れる空気を重くしている。

 エドマンドは青さを増していく空を見上げ、頭のなかのもやもやを吹き飛ばすかのように「ふう」という音とともに息を勢いよく吐きだした。中国幣制改革のためには外国からの借款が必須だ。交渉が不調だからといって、ふさぎこんでいるわけにはいかない。

 エドマンドは帽子のつばを引き、帝国ホテルのほうへ向かって歩きだした。

 ホテルの部屋に戻ると、ドアのしたにメッセージがさしこまれていた。

 みると、リース=ロスからのメッセージで、すぐに部屋にくるようにと書いてある。

 朝食前ではあったが帽子だけを脱ぎ、すぐにリース=ロスの部屋に向かった。

 リース=ロスの顔は笑みであった。

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