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『カレンシー・レボリューション』立ち読み 第781〜840段落

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 昼食を終えた燕克治は小島譲次と別れ、食堂横の狭い階段で二階に上がった。

 古びたドアを開けると三人の男とひとりの女が待っていた。

 新聞社というのは名ばかりで、中央に置かれた円卓が部屋のほとんどを占めている。五人が集まれば息が詰まるほどに狭い。

「香港はどうだった」

と、燕克治の顔をみるなり訊いたのは趙郁華(ジャオユーフア)である。趙郁華は燕克治と同郷かつ同学であり、五年前から行動をともにしている同志だ。

「王首領になんとか資金をだしてもらった。しかしこれ以上はもうだせないそうだ」

「李済深(リージーシェン)や陳銘枢(チェンミンシュー)からの支援がとまったのか」

 李済深、陳銘枢はいずれも福建人民革命政府の指導者である。二年前に討伐された同政府の指導者であったふたりに資金の余裕があろうはずがない。

「そのようだ。もうわれわれには銭がない。来月のここの家賃も払えない。次の機会が最後と思ったほうがよさそうだ」

「次の機会?」

と朱偉※が訊いた。朱偉は克治の舎弟で、政治的な思想は全くないが克治と行動をともにしてきている。年齢は二十五歳で五人のなかで一番若い。残りの四人はみな三十歳前後である。

 燕克治は答えようとしたが、それを趙郁華が遮っていった。

「次の機会で成功したとして、そのあとはどうなるんだ。逃走の資金がいる。われわれ全員が逃げ、しばらくのあいだどこかに潜伏するための費用だ。特に暗殺の実行者の家族には働かなくても生活に困らないだけの十分な資金を与える必要がある。その銭はだいじょうぶなのか」

 部屋の角に置かれた椅子に孫鳳鳴※が座っており、その隣に寄り添うように孫鳳鳴の妻、蔡琪琳(ツァイチーリン)が座っている。燕克治はふたりを目の端でみた。膝のうえで拳銃を撫でている孫鳳鳴は十九路軍に属していたこともある元軍人で、ここにいる者のなかで唯一拳銃を扱える。暗殺の実行はおそらく孫鳳鳴が担うことになる。

 蔡琪琳がかん高い声で早口にいった。

「やめてよ。暗殺の実行者なんていい方をするの。彼に決まっているのでしょ。名前でいえばいいじゃない」

「す、すまん」

と、趙郁華がすなおに詫びた。

「でも逃走資金は私の分だけじゃないわよ。私と彼のふたり分よ。ふたりで香港まで逃げ、香港で暮らせる分をもらわなくてはならないわ」

 孫鳳鳴は蔡琪琳の膝をさすってなだめた。燕克治は「ああ、わかっている、わかっている」と二度うなずいた。蔡琪琳以外の者は孫鳳鳴も含めてみな暗殺の実行者がまず間違いなく死ぬことを知っている。

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 燕克治は趙郁華に向きなおって

「逃走資金は別枠だ。その分はだしてもらえる。十分な金額かどうかはわからないが」

「おいおい。だいじょうぶか。銭の心配をしなくてはならないのでは、いい仕事はできないぞ」

 うんざりした燕克治は、その気分が表情に現れないようにと気をつけなくてはならなかった。銭の心配などをしていたのではいい仕事はできない、といい返したい。

 朱偉が

「だからいったんですよ。共産党の支援を受けるべきだって」

というと、趙郁華が大きくうなずいた。

 燕克治は首を振り、

「もういうな。沈旺士(シェンワンシー)が打診したが断られたではないか」

 沈旺士は上海に残っている同志である。沈旺士は共産党員であり、趙郁華も社会科学家連盟(共産党指導下の左翼文化サークル)のメンバーで、ゆえにこの暗殺団は共産党との関係が深く、沈旺士が共産党中央軍事委員会の白区(国民党の支配地域)残留組織に援助を依頼した。しかし「プロレタリア革命党は暗殺工作の指令などおこなわない」といわれて断られている。

 趙郁華がいった。

「もう少し押してみればいいんじゃないのか。共産党を執拗に攻めたてる蒋介石は、共産党にとっても是非とも消えてもらいたい相手なのだから」

「いちどはっきりと断られている。むだだ」

と、この話を続けたくない燕克治は、きっぱりといった。燕克治は共産党の資金は入れたくないと思っている。共産党の資金を入れれば共産党は、周辺警備が厳しい蒋介石よりも汪兆銘の刺殺を命じてくるかもしれない。しかし燕克治の敵はあくまで蒋介石である。おそらくはあと一度しかない襲撃の機会を汪兆銘に対して使ってしまっては、もはや蒋介石暗殺を果たせなくなる。

 趙郁華は立ち上がり、

「一度断られたくらいで諦めるべきではない。これは戦争なのだといえばいい。戦争なのだから、その指導者を殺そうとするのは当然のことだ」

 燕克治も立ち上がって、

「くどい。もうこの話はたくさんだ」

と怒鳴ったとき、部屋の角で拳銃を磨く孫鳳鳴がぼそりといった。

「それで、次の機会というのはいつなのだ」

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 燕克治は椅子に腰を戻して、

「十一月一日だ。国民党の四期六中全会が開かれる。その初日に開幕式がおこなわれ、報道記者の入場が認められる。そこで──」

 燕克治は一呼吸をおき、四人をみまわしてからいった。

「蒋介石を殺す」

 リース=ロス、エドマンド、ロジャース、孔祥煕、宋子文、ヤングの六人によるミーティングが連日おこなわれている。

 中国側の用意した幣制改革案にイギリス側の意見を反映した修正を加え、イギリス側の新提案を適宜入れながら具体的な新通貨制度を固める作業がおこなわれた。

 十月三日のミーティングでは幣制改革後の為替レートについての議論に時間が費やされた。

 エドマンドが、

「新レートの決定は慎重にやらねばならない。オーバー・バリュー(経済の実力以上に通貨が高い状態)とならない適切な価格に定めねばならないが、それは容易なことではない」

と問題点を示すと、

「中国に、きみの国の失敗を繰り返させないためにね」

と、ヤングが冷やかすようにいった。イギリスが一九二五年四月に金本位制に復帰した際、旧平価注を採用したが、その時点の国際情勢からすればポンドが高過ぎ、その後の経済苦境につながった。ヤングはそのことをいっている。

「日本の失敗の例もある」と、孔祥煕がいった。「私の場合は命にかかわる重要な問題だからね」

 日本も一九三〇年一月に濱口雄幸(おさち)首相、井上準之助蔵相のもとで旧平価での金輸出禁止の解除を断行したが、やはり円が過大評価の状態であり、折悪しく発生した世界恐慌と時期も重なって深刻な不況を経験した。濱口は同年十一月に狙撃され翌一九三一年八月に没し、井上も翌一九三二年二月に暗殺されている。財政部長である孔祥煕が「私の場合は命にかかわる」といったのはそのことを指している。

 エドマンドがヤングに訊いた。

「アーティ。それで、きみが考える適切なレートとは、どのくらいなんだ」

 ヤングは子文をちらりとみた。子文がうなずくのを確認してからテーブルのうえに重ねられた書類の山のしたのほうから一枚の紙をひっぱりだした。

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