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『カレンシー・レボリューション』立ち読み 第901〜960段落

本ページで『カレンシー・レボリューション』 第901〜960段落を立ち読みいただくことができます。

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 突然隣室の騒音がやんだ。

 森尾が不審に思っていると、ゆっくりと障子が開き、おかみのおゆきがはいってきた。そしてそのうしろに、おゆきに案内された磯谷少将が立った。

 心のなかの苛立ちのせいで森尾は立ち上がるのが遅れた。

 磯谷は片方の眉を上げて、

「店の前で出迎えておるかと思ったぞ」

といった。

(細かいひとだ)

と森尾は思った。つまらぬことをほじくらねば気がすまないひとなのだろう。隣室の大騒ぎも磯谷に叱責されて鎮まったに違いない。

 磯谷のうしろに影佐中佐が現れた。

 影佐のほうは「おっ、待たせたな」と笑みを浮かべていったが、このひとについては、「態度は慇懃、話は軽妙でそとづらのうけはいいが、内面に秘めたものをもつ鋭い謀略家」という評を聞いたことがある。四ヶ月前に起きたいわゆる〝新生事件〟(雑誌〝新生〟に掲載された各国元首についての風刺記事に天皇に対する冒涜が含まれていると日本が抗議した事件)では、上海の日本語新聞が市政府を批判する高圧的な記事を連日掲載し、日本のヤクザが市内各所で暴れ、陸戦隊は臨戦態勢をとって威圧したが、これらは全て影佐が裏で操っていたと噂されている。おそらくは事実だ。

 磯谷が森尾の酌を受けながらいった。

「幣制改革はどうなりそうだ」

「実施は時間の問題でしょう。幣制改革の内容はほぼ決まっていて、外国からの借款かアメリカへの銀の売却が決まれば直ちに実施されるのではないでしょうか」

「そうなのか。あまりに性急に過ぎるだろう。この国では何百年ものあいだ銀が使われてきた。それをちょっとやそっとのことで捨てることはできないだろう。大混乱に陥るのではないか」

「多少の混乱はあるかもしれませんが、すぐにおさまるでしょう。わが国にしてもわずか七十年ほどのあいだにめまぐるしく制度を変更しています。通貨制度の変更はどの国も経験しています。この国だけが失敗すると考えるほうが無理があります」

 日本の通貨制度は明治維新後に実質的な金銀複本位制を採用し、日清戦争後に金本位制を確立、第一次世界大戦勃発により金本位制を離脱し、戦後いったん金本位制に復帰したが、すぐに再び金本位制から脱している。

「しかしだな、たまたま上海出張中という高橋亀吉の話を聞いたが、あの男は幣制改革を断行すれば破綻は必至といっていたぞ。影佐、そのときの話を教えてやれ」

 高橋亀吉は東洋経済新報社編集長を経て三年前に高橋経済研究所を創設した著名な経済評論家である。

 影佐が話を継いで、

「高橋亀吉は、銀本位制から離脱すれば人々は元の下落を予想するので資本は一斉に逃避し為替投機が横行する。都市住民は元を売ってモノに換えようと走り農民は農産物を売り惜しむのでインフレが発生し、そのことがさらに元に下落圧力を加える。政府は手持ち外貨と手持ち銀の売却で六ヶ月程度はがんばり得るだろうが、結局は間違いなく破綻する、と述べていた」

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 森尾はゆっくりと眼鏡をはずしながら、間をつくった。自分よりも在野のエコノミストの発言を信じるのか、と思い、その腹立ちを間をつくることで表した。そして、

「そのまま銀本位制をとり続けたほうが、銀価格に経済が翻弄され続け破綻に至る可能性は高いように思いますがね」

といった。影佐が目の端で森尾を睨んだ。森尾のいいかたが不遜と思ったのだろう。森尾は構わず続け、

「その亀吉どのの論旨は、最終的に外貨準備が尽きて経済が破綻する、ということのようですが、破綻するかどうかは別にしても、いまの外貨準備では心細いのは確かです。そんなことは国民政府もわかっていて、借款を求め、銀売却をしようとしているのです。ゆえに私は、借款が得られるか銀売約交渉がまとまり次第幣制改革は断行されるだろう、とさっきからいっているのです」

 そういって森尾は眼鏡をかけなおした。眼鏡をしてよくみると、磯谷は厳しい目で森尾をみている。森尾のしゃべりかたが気に障ったらしい。

 磯谷が訊いた。

「それで森尾は、幣制改革を実行したらこの国はどうなると思うのだ」

「強くなります。為替レートが安定することにより景気の波は小さくなり、貿易や国外からの投資が増加し、経済が成長の軌道にのるでしょう。この国がひとつにまとまれない理由のひとつが通貨制度が原始的であることですが、南京の国民政府に管理される通貨が国じゅうあまねく普及することにより、国家の統一が促進されることでしょう。通貨は社会のいしずえです。それがいまのところ極めて不安定なのですが、運営の仕方によっては、強固な城壁のような基礎を得ることになります」

「それはよくない。非常によくない」

「さらに幣制改革はこの国を軍事面でも強固なものにするでしょう。これまで国民政府はひどい財政難で公債を発行しようにも消化に問題があり、そのことが軍備拡張の足枷となっていました。しかし幣制改革後は通貨を発行して軍備を増強することができるようになります。幣制改革直後は新通貨に対する信認を得るために通貨発行量の拡大は慎重になされるでしょうけれども、数年後には、カネの成る木を得たと知った蒋介石は通貨発行を拡大して軍備拡張に充てるに違いありません」

「よくない。よくない」と、磯谷は呪文のように繰り返した。「では支那はわが国との全面戦争に備えて幣制改革をおこなおうとしているということか」

 森尾は磯谷に誤解を与えたかと思って後悔しつつ、

「いえ、そういうわけではありません。幣制改革の目的の第一は不況からの脱出であり、第二は銀価格に翻弄されない経済体制の構築です。ただ、この国は幣制改革によってわが国との戦いに耐える体力を得るのは間違いありません。幣制改革を推進している者が、日本との戦いを強く意識しているということは十分に考えられます」

「やはりよくない。幣制改革を阻止せねばならん」

「いや、それは──」

 難しいと森尾はいおうとしたが、磯谷は森尾のことばに被せて、

「阻止するのだ。よいな」

といった。

「いやいや、簡単におっしゃられては困ります。阻止することは困難と申さねばなりません。実施の時期をずらす程度のことはできるかもしれませんけれども」

「なんだ。やる前から諦めるのか」磯谷は影佐をひとさし指でさして、「この影佐の得意は謀略だ。必ず策があるはずだ。影佐と相談してやってみろ」

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 磯谷は命令口調である。森尾は黙らざるを得なかった。

 影佐が障子を開けておかみのおゆきを呼んだ。

 しばらくして芸妓が三人はいってきた。うちひとりは磯谷と深い仲なのか、すぐに磯谷にしなだれかかり、磯谷の耳元でなにかを囁いた。磯谷も芸妓の耳を噛むかのように口を近づけた。

 森尾は、

(経済のわからぬ者とは話をできない)

と思い、心中で舌打ちした。そして影佐に向かっていった。

「では明日、ご相談に伺います」

 切れ者と評判の影佐を説いて磯谷に説明してもらうしかない。影佐は、

「ああ、では明日朝一番に武官室にこい」

といって、もうひとりの芸妓の肩を抱いた。

 リース=ロス使節団と宋子文らのミーティングは連日おこなわれている。

 十月八日のミーティングでは、いかにして金、銀、ドル、ポンドなどの対外支払い準備を充実させるか、その方策について集中的に討議がなされた。

 ヤングが、

「為替レート安定のためにはなにより潤沢な対外支払い準備をもつことが必要であり、そのために、国内の全ての銀を国有化しようと考えています。銀行や両替商など金融機関のみならず、法人、個人を問わず、銀による取引や銀を単位とした契約などを禁じ、銀貨のみならず宝飾品も含めて全ての銀の保有を禁じて国への売却を義務づけ、そうして国じゅうの銀を国家に集中させます。中国経済を長年続いた銀の支配から完全に脱却させるためにもこれは必要な措置です」

と、銀の国有化の必要性を説いた。

 リース=ロスは政策の有効性を認め、銀の国有化に賛意を示したうえで質問した。

「外国銀行や外国人についてはどうする。彼らは治外法権を有しているので強制することはできない。自発的に銀を拠出させるのも困難だと思う。特に、日本の銀行が賛同するとは思えない」

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