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『ステーツマン』立ち読み

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──なんだ簡単なことじゃないか。

 宋子文※は長江を遡る汽船のデッキで風に向かってつぶやいた。

 川岸に立ち並ぶ松の枝葉はわずかにしか揺れていない。しかし、船首に立つ子文の顔には強い風が吹きつけ、撫でつけた髪を乱している。

 風を受けるのは、自分が進んでいるからなのだ。

 そんな簡単なことに気づき、子文は心に小さな感動を覚えていた。凍てつく風を嫌うのであれば立ち止まればいい。しかしそれでは永遠に目的地にたどりつくことはできない。

 九江(ジウジアン)を発った汽船は国民政府注の新しい首都、武漢に向かっている。

 五ヶ月前の一九二六年七月、国民革命軍注総司令の蒋介石※は、群雄割拠する中国全土の統一を目指し広州を起点にして北伐注を開始した。北伐軍は軍閥の呉佩孚(ウーペイフー)の勢力下にあった地域を制圧しつつ北上し、八月には湖南省の長沙(チャンシャー)を抜き、湖北省の武漢三鎮注を十月十日までに陥落、江西省の南昌(ナンチャン)を激戦の末十一月九日に制圧した。

 蒋介石の発議により、国民党注は国民政府首都を広州から武漢へ遷都することを決め、財政部長注で中央銀行注総裁を兼ねる宋子文を含む党の幹部の一部およびコミンテルン注から派遣されているミハイル・マルコビッチ・ボロジン顧問ら数十人が先遣隊として武漢に遷ることとなった。

 一行は十一月十六日に広州を発って広州の北約百㎞の韶関(シャオグアン)まで鉄道でいき、その先は山間の難路を、あるときは徒歩で、あるときはロバや輿に乗って進んだ。この山間地域は国民政府の支配下にはいったばかりで国民政府の紙幣が通用しない。財政部長である子文は銀貨を大量に詰めたカバンを携行し、食費や宿泊費、輿を担ぐ人夫の報酬など道中の費用の支払いをみずからおこなった。

 約二週間をかけて山間を抜け、蒋介石が軍司令部を置く南昌に着く。南昌からは蒋介石も加わって鉄道で北上し、十二月四日、一万の熱狂する民衆に迎えられて九江にはいった。翌五日、一行は静養を兼ねて九江の南約二十㎞の景勝地、廬山注に登り、会議をおこなった。そこで蒋介石は北伐の継続を主張し、富の集中する江蘇、浙江方面へと軍を進めるべきと主張したが、会議の大勢は、まずは占領地域の政治的・経済的安定が必要と唱え、結局蒋介石が折れ、北伐の一時休止が決定された。

 一行はさらに二日廬山に滞在して旅の疲れを癒し十二月十日に武漢にはいることになったが、三十歳を越えたばかりで若さみなぎる子文にとって静養はむしろ苦痛であった。子文は先行して下山し汽船で武漢に向かうことにした。

 汽船はあと数時間で武漢三鎮のひとつの武昌(ウーチャン)に着く。

 船室に戻ろうと振り返った子文の視線の先に、デッキの手摺りにもたれて物憂げに川面をみつめる姉、宋慶齢※の姿があった。

 子文にはふたりの姉、長女靄齢※と二女慶齢がおり、したには三女美齢※、二男子良(ズーリァン)、三男子安(ズーアン)がいるが、なかでも年齢の近い姉、慶齢との仲がいい。慶齢はやさしく、穏やかで、美しい。気立ても器量も、子文が思うに、三姉妹のなかで飛び抜けている。

 子文は慶齢の方へ数歩歩き、立ち止まった。慶齢の白く透き通った横顔をみて、大洋を渡ってきた鳥が手摺のうえで羽を休めているかのように思え、声を掛ければどこかへ飛んでいってしまいそうな気がしたのだ。

 一八九三年生まれの慶齢は、米国留学ののち、二十二歳のときに親の反対を押し切って孫文の妻となった。それから十年にわたり陰日向になって孫文の革命を助けたが、二年前に夫に先立たれてしまっている。その直後のやつれた様は痛々しかったが、孫文革命の継承者として慶齢はすぐに立ちあがらなければならなかった。いまやその細い肩で国民党と新しい中国を担っている。中国統一の象徴である慶齢は子文とともに先遣隊として広州を発ち、いくつもの山を越え長江に達した。そして、新首都にはいる第一陣としてこの汽船に乗ったのである。

 風にはためくコートの裾をおさえようとした慶齢が子文の視線に気がついた。

「なあに?どうしたの、そんなところでぼうっとして」

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「あっ、いや。別に。なんとなく声を掛けづらくってね」

「なにそれ。変なの」

と、慶齢はやさしく笑った。

「姉さんこそどうしたんだい。こんなところにひとりで」

「別になんでもないわ。そとの空気を浴びたくなっただけよ。それに、もうそろそろ武漢がみえてくるころじゃないかなと思ってね」

 慶齢は、冬の風に目を細めながら川岸の景色をみわたした。

「姉さん。いよいよ武漢だね」

 孫文は一八九五年の広州起義(蜂起)以降、繰り返し武装蜂起を試み、都度失敗を重ね、数え切れない同志が犠牲となったが、辛亥(しんがい)の年である一九一一年に武昌でいわゆる武昌起義が成功し、それをきっかけとして清朝が倒れ、一九一二年に中華民国が建てられ孫文が臨時大総統に就任した。すなわち武漢は国民党にとっても慶齢にとっても特別な場所であり、子文は慶齢の感動を推し量って「いよいよ」といったのである。ところが慶齢は、

「そうね」

と、小声で答えただけだった。

「なんだい。気のない返事だね。武漢に着いたらやらなくてはならないことが多すぎて、さすがの姉さんも、気負いが過ぎて、却って脱力してしまったということかな」

「いいえ。そういうわけではないわ」

 慶齢は再び視線を川面に落とした。

「それじゃあ──」子文は慶齢の横顔に訊いた。「やっぱり、蒋介石のことかな」

 慶齢を悩ますことといえば孫文の建てたこの国のゆく末に絡むことのはずであり、この国のゆく末にとっての最大の脅威といえば蒋介石であろう。

 日本に軍事留学をしていた蒋介石は辛亥革命勃発とともに帰国した。孫文のもとで革命活動に従事し、軍事の専門家として次第に頭角を現し、黄埔軍官学校注の校長にも就く。ただし孫文病没の時点では、あくまで軍関連の有力な指導者のひとりに過ぎなかった。一九二五年七月に成立した中華民国国民政府主席は汪兆銘※で、蒋介石は同政府の最高指導部である常務委員(汪兆銘、胡漢民(フーハンミン)、廖仲愷(リャオジョンカイ)、許崇智(シュチョンジー)、譚延闓(タンイェンカイ))にも選ばれず、軍事関連の最高機関である軍事委員会の主席は汪兆銘が兼ね、蒋介石は軍事委員会の九人の委員のひとりという立場だった。しかし、国民党に叛旗を翻した勢力の討伐に成功し、また、常務委員五人のうちの廖仲愷が暗殺され、この暗殺事件に関連して同じく胡漢民と許崇智が失脚したこともあって、蒋介石はわずかの期間で汪兆銘に次ぐといっていい地位を得た。そして一九二六年三月、いわゆる〝中山艦(ちゅうざんかん)事件〟が発生する。広州に停泊していた軍艦〝中山艦〟が広州東部に位置する黄埔軍官学校沖に回航したことをきっかけにして蒋介石が共産党員を逮捕、追放した事件である。蒋介石は中山艦の回航はクーデターを企てた共産党の陰謀であると断じたのだが、全ては蒋介石による謀略だったのかもしれず、はたまた共産党でも蒋介石でもない第三者が企てたものであったのかもしれない。いずれにしても結果として、共産党に寛容な姿勢をとり国民党左派の中心である汪兆銘が失脚しフランスに亡命した。つまりは、わずか一年にも満たない間に国民政府成立時の常務委員五人のうちの四人が消えてしまったのである。こうして蒋介石は国民党の実質的な最高実力者に登り詰めた。

 黙っている慶齢をみて、子文はいった。

「やっぱり蒋介石のことなんだね。廬山での彼との会合以来、元気がないようだし」

 廬山で蒋介石は、北伐の継続のほかにも、首都を武漢ではなく南昌に遷すべきと主張した。広州から武漢への遷都は蒋介石自身が提議し党により認められたものなのだが、一カ月ののちに前言を翻したのである。南昌遷都案は慶齢を含む幹部の大勢の反対により否決されたが、議決に至るまでには、蒋介石と慶齢らのあいだで互いに相手をなじる激しい論争があった。

「蒋介石は、自分でいいだした武漢遷都をなぜ急に引っこめたのだろうね」

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「武漢への遷都を思いついたのは南昌を攻め落とすめどが立つよりも前だったのでしょう」

 南昌陥落は十一月九日であり、武漢陥落からほぼ一カ月後である。蒋介石が武漢遷都を提議したのは両都市の陥落のあいだだった。

「蒋介石は、北伐軍の主力が駐留する南昌に首都を動かして、武器をちらつかせながら党を自分の思いどおりに動かしていこうと思っていたのだろうけど、果たしてどこまでやるつもりだったのだろう。党内で自分の声を通りやすくしたいと思っていただけならまだいいけれども、独裁体制への第一歩とするつもりだったのではないかと少し心配だよ」

「ほかにも心配なことがあるわ」

「ほかにも心配なこと?」

「武漢は共産党の勢力が相当に強いようだから、蒋介石はそれを嫌ったのかもしれないわ。彼は共産党との決別を決めているんじゃないかしら。共産党に支配されている武漢を避けて、自分の影響下で共産勢力を抑えこんでいる南昌に遷都したうえで共産党を排除していこうと思っていたのではないかしら」

「確かにその可能性はあるけど、どうかな」

「南昌遷都は北伐継続が否決されたからいいだしたことなのかもしれない。北伐を中断するのならば、そのあいだに共産党を倒してしまおうと考えたのかもしれない」

と、慶齢はひとの心の闇を覗きこむようないいかたをした。子文は、限りなく清らかな姉には似あわない、と思い、姉を悩ませる蒋介石に嫌悪を抱いた。そして同時に、慶齢と蒋介石との溝は深まっていき、いずれ激しく対立することになる、と予感した。

 蒋介石は、北伐を成功させるため共産党との連携を容認したが、反共の考えが強いことは中山艦事件で共産党員に対して厳しい弾圧をおこなったことからも明らかだった。北伐を停止するのならば、共産党との連携は百害があって利は全くないと考えているかもしれない。一方で慶齢は共産党に対して常に寛容だ。孫文はロシア革命に影響を受け、「聯俄容共、扶助農工(ロシアと連携し共産主義を容認し農民・労働者を扶助する)注」を基本政策のひとつとして掲げていた。孫文の遺志を忠実に継承しようとしている慶齢が、共産党を嫌う蒋介石を警戒の目でみるのは自然なことだ。

「蒋介石はこのままおとなしくしているかな」

「どうかしら」

「彼のことだ。きっとなにかやってくるよ。いまごろ南昌で次の策を練っているに違いない」

 慶齢が子文の方へ向きなおった。子文は慶齢にまっすぐにみつめられ、その輝く視線に思わずあとじさりした。

「子文。もし蒋介石が国民党をふたつに割いて独立しようとしたら、あなたはどうするの」

「え?いや、僕は──」子文は口ごもった。「蒋介石が独立しようと考えているとは思っていないよ。いまごろ南昌で、国民党から共産党を追いだす方法を練っているのかもと思っただけだよ」

「国民党から共産党を排除することは、わたしだけじゃなく多くの党幹部が反対するわ。ならば蒋介石は、右派の人間をつれて党を割ってから、わたしたちをつぶそうと考えるかもしれない。軍を握っている蒋介石ならそれも可能だわ」

「武器をもっているだけでは無理だよ。蒋介石は独力で自分の部隊を養うことはできないのだから」

「そうよ。だから聞いているの。あなたが蒋介石の側につけばそれもできるようになる。蒋介石は資金を得られる。わたしたちに戦争を仕掛けることが可能になる。あなた次第といってもいいわ」

「姉さん。それはかいかぶり過ぎだ。僕にそんな力はない」

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