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『ステーツマン』立ち読み 第181〜240段落

本ページで『ステーツマン』 第181〜240段落を立ち読みいただくことができます。

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全文は
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「逆にいえば、蒋介石は北伐完遂後に共産党と決別し、党内の左派と決着をつけようと考えているのか」

「そうかもしれない」

「そのとき、きみはどうする」

 子文は黙っている。小島は問いを繰り返し、

「遅かれ早かれ国民党は割れることになるのではないのか。そのとき、きみはどちらにつく」

 子文がしゃべらないので、小島は続けて、

「きみの基本的な考えかたは僕と同じはずだ」

といった。

 子文にはその意味がすぐにわかる。ボストンでともに学んだものの導くところに従い判断をなすはずだ、と小島はいったのだ。ふたりが学んだのは、いまでいう新古典派の経済理論で、価格は自由に伸縮すると想定するので失業が発生しても賃金の速やかな下落により労働市場は均衡し失業も解消されると考える。よって賃金の伸縮を妨げる労働組合の存在は市場を歪める有害なものということになる。アメリカでは南北戦争以降レッセフェール(自由放任)を基本とする経済学が広まった。一八七三年からの恐慌の影響で市場を監視・制限する制度の必要性を説く制度派経済学が一時幅を利かせるが、ハーバードと、子文が博士を取得したコロンビア大学、およびエール大学では、変わらずレッセフェールを信条とする新古典派が主流であり、ゆえにそこで学んだ若者が、乾いた砂地に水をまくように、新古典派の理論を吸収するのは自然なことだった。ちなみに失業の存在を理論的に説明したJ.M.ケインズの「雇用・利子および貨幣の一般理論」が発表されたのは、この時点から十年も先の一九三六年である。

 子文はあいまいにうなずいてから、「ただ──」といいかけて黙ってしまった。

「ただ、なんだ」

 子文はひとさし指を鼻先に当てて黙っている。

「まさか慶齢のことが気にかかっているのではあるまいな。きみの姉さんは左派の旗頭だ。慶齢と袂を分かつことはできないとでも考えているのかい」

と、小島は冗談めかしていったが、子文はやはり黙っている。

「おいおい。これは美齢の結婚とは別次元の話だぞ。美齢の結婚に慶齢が反対するのならきみも反対するということはあるかもしれないが、社会のありかたの問題で、きみは自分の考えを捻じ曲げることができるのか」

「いや。僕は党を分裂させたくないのだよ。党が分裂しそうになれば、どちらにつくかを考える前に、分裂させない方法を考えようとするだろう」

「きみの努力もむなしく党が分裂したならばどうする」

「その場合は──」子文はゆっくりと顎をあげて、いった。「僕の父は常々いっていた。中国人民を封建主義や欧米列強による抑圧から解放しなくてはならないのだと。そのことばは僕の骨髄に染みついている。アメリカから帰国後広州にいったのは、孫文先生の思想こそが中国の人々を解放するものだと心から信じたからだ。孫文革命は道半ばであり、僕は先生の遺志の実践に努めるだけだ。そして姉さんは全力で先生の遺志を継ごうとしている」

「孫文は『聯俄容共、扶助農工』を掲げていた。共産主義にはかなり寛容だったわけだが、慶齢は、真っ赤に燃える武漢で女神のように崇められているうちに、寛容を越えて共産主義に染まったということはないか」

 子文は黙っている。

全文は
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 小島は窓のそとへ視線を動かした。黒に近い灰色の長江のうえに、水面とほぼ同色の軍艦が数隻停泊しているのがみえる。

「党の分裂を心配するよりも、列強との衝突を先に心配すべきなのかもしれないな。武漢市民の反帝国主義意識は相当に強い。特に反英感情はひどい。イギリス租界を歩いてみればそれを痛感するよ。列強の長江上からの威圧も相当なものだ。いつでもかかってこいという感じだ」

「これでも一時に比べれば改善したのだよ。冬になり水位が下がると喫水の深い艦はここからでられなくなってしまうから、駆逐艦の多くは先月末には武漢を離れた。いま残っているのは喫水の浅いガンボートがほとんどだ。一時はデモ隊と列強の陸戦隊との衝突がいつあってもおかしくなかったが、列強の軍艦が減ったおかげで緊張が薄れている。いまは租界のデモ行進も整然としているよ」

 小島は窓から長江の軍艦の数を指で数えながらいった。

「じゃあ、衝突の危険はもはやないと考えているのかい」

 子文は首を横に振った。

「いや。一時に比べればましになったというだけで、未だに危険な状態にあることには変わりはない。ただ、仮に衝突が起こっても大事には至らないのではないかと思う。北伐を優先する蒋介石は列強との妥協の道を探るだろうし、列強側も、このナショナリズムの高まりを目にしているのだから、へたに動けばことが大きくなり過ぎると考えるよ。自国民が殺されるようなことでもなければ、あまり強硬な手段には訴えないと思う」

 小島は窓から視線を戻していった。

「それにしても、この街でのボロジン人気は異常だな。ボロジンを称えるポスターがあちらこちらに貼られている。蒋介石のポスターなど全くないし、国民党の宣伝ポスターはあるけれども、ボロジン個人を称賛するものの方が多いだろう。蒋介石はこの状況をみてどう思っているのかね」

 ボロジンはコミンテルンから派遣された国民政府の政治顧問である。

「蒋介石は僕らが武漢にきてから一度もこちらにきていないよ。もちろん武漢の状況は知っているだろうけれどもね。こんな状況をみたくないからこないのか、もしくは、必要以上に身の安全を気にするひとだから、大衆に襲われるのを恐れてこないのかもしれない」

「蒋介石はこの街を解放したのは自分だと思っているのに、その手柄を敵兵をひとりも倒していないボロジンにさらわれたのであれば、それはおもしろくないだろう」

「蒋介石の評判はよくないが、僕の評判はそれ以上に悪い。革命軍は、どこかを占領すると、人気とりのために民衆が喜びそうな政策の実施を約束するが、そのときに必ず『悪税を撤廃して税を軽減する』と宣伝する。市民は大いに喜ぶ。でも、悪税の撤廃はいいけれども、悪税の撤廃で失われた税収をほかの税で埋めなくてはならないし、民衆を喜ばせる新規施策を実施するにも、その資金は民衆に求めなければならない。誰かが嫌われものを演じなくてはならないが、それが僕というわけだ」

「やむを得ないとしかいいようがないな。財政当局というのは大衆に嫌われるものだ」

「大衆だけではない。生産者や知識階級も僕を嫌っている。僕は徴税の仕組を整えたり、軍閥が発行した紙幣の整理をしたりしているが、これらの施策は資産家にすこぶる評判が悪い」

 軍閥政権は地元の名士などに保証金を積ませたうえで徴税を担わせていた。国民政府の支配下となり直接税官吏が徴税する仕組みに改められたことにより地元名士たちは既得権益を奪われた。また、軍閥政権は軍事費などを賄うために紙幣を乱発したが、子文はそれら紙幣を無効にし、または額面の数分の一で中央銀行券に置き換える措置をおこなったが、これにより軍閥政権の紙幣を多数保有していた資産家はみな大きな損をした。

「軍閥にわずかにでも縁があった者は資産が没収されているらしいが、その恨みも財政部の長であるきみに集中しているのだろうな」

「北伐のいいところはみなボロジンのおかげ、悪いところはみな僕のせい。そういう感じになっている」

 子文は苦い笑いかたをした。

「ボロジンといえば、今日は税関の前で演説会をおこなうらしいな」

全文は
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「興味があるのかい」

「思想には全く興味はないが、どういう話をすればそんなに人気を得ることができるのか、それを知りたいとも思う。ちょっといってみないか」

「そうだなぁ。あまり気は進まないが──」子文は壁の時計をちらりと見あげた。「まあ、ちょうど時間もあるし、ちょっとつきあうか。ここから歩いてすぐだ」

 ふたりはコートを羽織り、イギリス租界へ向かった。

 街頭演説の場は千人に達するのではないかとみられる聴衆の熱気で満ちていた。それを取り囲むようにイギリスの陸戦隊員と国民革命軍の兵士が並んで立っている。

 演説の内容は、革命は未だ完成しておらず、中国の統一や不平等条約撤廃、土地問題の解決、民衆の政治参与などを実現しなければならず、直面する問題は経済と財政の改善であるといったもので、特に目新しいものではなかったが、ボロジンの巧みな弁舌と絶妙な間が聴衆たちを熱狂させた。

 小島と子文は聴衆の群れからやや離れて遠い演壇をみている。

 小島は、数歩離れたところに立っている男数人がこちらをちらちらとみていることに気づいた。

 そのうちの中央にいる男がこちらを指さし、左右の男になにかをいっている。

「TV。この街でのきみの評判はよくないといっていたな」

「ああ。そうだが」

「軍閥の圧政から市民を解放した英雄として扱われていたりはしないのかい。それとも単に財布からカネを巻き上げる盗賊と思われているのか」

「後者だよ。間違いなくね」

「ならば、この場を離れた方がよさそうだ」

 小島の視線の方向を子文がみたとき、男がこちらを指さして叫んだ。

「宋子文!宋子文がいるぞ」

 聴衆の最後尾の人々が一斉にこちらを向いた。無数の目がふたりをみる。

 子文が小島の袖を引いた。

「そうだな。離れよう」

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