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『ステーツマン』立ち読み 第361〜420段落

本ページで『ステーツマン』 第361〜420段落を立ち読みいただくことができます。

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全文は
でお読みいただけます。

「ホッ、ホッ、ホッ」

と、靄齢はゆっくりと笑った。

「武漢の政府から独立を宣言して武漢を倒し、北伐を完遂したのちに帝政を敷く。そういうことでしょうか」

「皇帝になっていただけるなら一番ですけれども、それでは結婚まで何年かかるかわりませんし、そもそも、いまはもうそういう時代ではないことは私もわかっています。王となることが条件と申しはしましたが、帝政を求めているわけではありません。武漢の政敵を倒して、この国で唯一無二の男となっていただければ、それでいいでしょう」

「なぜ、また、そんな?」

「不思議ですか。私は美齢をファースト・レディーにしてあげたいのですよ。私はなれませんでしたが、慶齢は孫中山先生の夫人となったことで、この国の母と呼ばれるようになりました。美齢は負けん気の強い娘です。子供のころに慶齢がきれいな服を着ていれば、美齢もそれと同じか、それよりきれいな服を着たがりました。慶齢がアメリカに留学すると聞けば、まだ十歳だったのに、自分もいきたいと何日も泣いて親に訴えましたし、慶齢よりも長くアメリカにいたいといって、慶齢とともに帰国することを拒みました。あの娘はいま、孫中山先生に負けないくらい偉大なひとに嫁ぎたいと思っているのです」

 蒋介石は、

(慶齢に対抗意識をもっているのは美齢ではなくて靄齢の方なのではないか)

と思った。対抗意識というより劣等感というべきか。かつて美齢が「私だけは大姐(ダージエ)(長女)とも二姐(アージエ)(次女)とも仲がいいのよ」といっていたことを思いだした。「私だけ」というからには、靄齢と慶齢の仲はよくはないのだろう。慶齢の容姿は靄齢に勝り、慶齢は国父と呼ばれる男に嫁いだが、靄齢の夫孔祥煕は、孫文に比べて勝っているのはカネをもっていることだけで、名声も頭脳も容姿も大きく劣る。靄齢が慶齢に対してよくない感情をもっていても不思議なことではない。

「よろしいのでしょうか。夫である私が武漢を倒せば、姉妹で対立することになるのではありませんか」

「それはやむを得ないでしょう。ファースト・レディーはひとつの国にひとりしかいません」

「このようなことは、さすがにいまここでお約束することはできませんが」

「ここで口約束をしていただいてもだめです。武漢政府と袂を分かつことを世間に向けて宣言してください。それが第二の条件です。そして、第三の条件は──」

「ま、まだあるのですか」

「条件はこれで最後です。安心してください」

「はあ──」

「第三の条件は、私の夫、孔祥煕をあなたの政府の要職につけること。行政院長注か、少なくとも財政部長あたりのポストを用意してください」

「なるほど」

「第三の条件は、簡単すぎたかしら」

と、靄齢はいたずら好きな子供のような表情でいった。確かに第二の条件を満たし政権を掌握しさえすれば難しいことではない。だが、最も応じてはならない条件のようにも思われた。自分の率いる組織を最強のものにしたい。人事を私情でおこなえば組織は弱体化する。それを嫌うのは軍人としての本能であろう。

全文は
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 蒋介石は腕組みをして天井を見上げた。

「いかがかしら」

と、靄齢は答えを促した。蒋介石は天井を見上げたままである。

「美齢のためならどんな条件でも飲むと即答いただきたいところではあるのですけれどもね」と、靄齢は不満げな顔をして、「ではこちらからは、あなたが美齢の次に欲しいものをさし上げることにしましょう。いえ。美齢よりも欲しいものかもしれません」

「私の欲しいもの?」

 蒋介石が首を傾げると、靄齢は一枚の広州中央銀行券を取りだしロー・テーブルのうえに置いた。

「銭、ですか──」

「美齢と夫婦となれば、あなたは宋家と孔家の資産を自由に使うことができるようになります。ただ、それだけでは北京まで攻めのぼるには足りないでしょう」

「それは、まあ、そうですが」

「だから、この中央銀行券をさし上げるのではなく、中央銀行券を刷る人間をさし上げようと思います」

「それは、つまり──」

と、蒋介石は目をしばたたいた。

「子文です」

「宋子文──」

「子文がいれば、あなたは宋家や孔家の資産などとは比べものにならないほどのものを手に入れるでしょう。子文なら浙江財閥注をまとめあげ、あなたを支援させることができるでしょう。アメリカやヨーロッパからの支援も引きだせるかもしれない。あなたが国をつくるとき、あなたの国の経済は子文によってつくられるでしょう」

(確かに、宋子文をわが陣営に入れることができれば、これほど心強いことはない)

と、蒋介石は思った。宋子文がいれば、資金や民政のことを考えずに軍事に専念することができるだろう。それに宋子文を武漢から引きはがせば武漢政府は早晩資金不足に陥り、破綻への道を転がり落ちていくに違いない。

「しかし、そのようなことが本当に可能なのでしょうか。宋子文は武漢から離れようとはしないのではないですか。なにしろあちらには──」

「慶齢がなんです」靄齢が遮って強い口調でいった。「私は長女です。子文は必ず私のいうことを聞きます」

「そうですか──」

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「あなたのお答えはひとつに決まっているとは思いますが、一応はっきりとお聞かせいただけませんか」

「さすがにいますぐにお返事することはできかねますが」

「そうですか」靄齢は顔を横に向けた。その視線の先にドアがふたつある。「では左側の扉からお帰りください。そとにでることができます。ただもし、いますぐ私の条件を受け入れていただけるのであれば右側の扉を開けてください。その扉の向こうには別の部屋があり、そこで美齢が待っています。あなたが右側の扉を選んだならば、私は美齢を残して下船しますので、九江に宿を用意していただけますか」

 蒋介石は立ち上がり、左と右のドアを交互にみた。そのまましばらく直立していたが、やがて背筋をのばし、長靴の片足で一回床をカッと鳴らしてから右側のドアへと歩きだした。

 右のドアを開けると、すぐそこに笑顔の美齢が首を少しだけ横に倒して立っていた。

 蒋介石が蒸気船を降りたのは翌日の昼過ぎである。

 下船してからしばらくは、美齢のぬくもりを思いだしては、知らず知らずのうちに口元がほころんだ。

 しかし家が近づくにつれ、蒋介石の表情は固まっていった。

 妻の陳潔如にどう話せばよいのか。考えはなかなかまとまらなかった。

 結局なにも思いつかないうちに、蒋介石の乗った車は官舎に横づけされた。

 蒋介石は陳潔如に、靄齢が会いにきたので彼女と重要な会合をしてきた、といった。つまり、美齢が九江にきていることはいわなかった。そして、靄齢のだした第二の条件、すなわち蒋介石が武漢政府から独立し新政府を建てるということ、および第三の条件、すなわち靄齢の夫、孔祥煕を新政府の要職に就けること、これらの条件を蒋介石がのめば、宋子文が武漢政府を離れて新政府側につき、浙江財閥は挙って蒋介石のスポンサーとなる、と語った。つまり、第一の条件である陳潔如と別れるということについては伏せた。続けて、現在の政治状況を語った。共産主義がいかに問題か、武漢がどういう状態にあるか、武漢政府がこのまま国を統一したら中国はどうなるか。そういったことについて滔々と説明し、自分の野望のためではなく、中国の民衆のために自分は立たなければならないのだと、陳潔如に一切の口をはさませない興奮した口調でまくしたてた。

 そして蒋介石はおもむろに「五年間だけアメリカに留学してくれ」といった。

 陳潔如はなにをいわれたのかわからず、目を見開いている。

 蒋介石は、靄齢のだした第一の条件について述べた。そして、ふたりが別れるのは五年間だけであり、五年すればいままでと同じようにともに暮らせるのだと、疑いを抱かせないよう、せいいっぱい自信ありげにいった。

 陳潔如の顔から表情が消えた。

 蒋介石は、自分の愛するのは陳潔如のみであり、美齢とは愛のない完全な政略結婚なのだと説いた。

 陳潔如は無表情のままである。

 蒋介石は、自分の事業の成功と中国民衆の幸福は、すべて陳潔如の決断にかかっているのだ、といい、涙を流してみせた。

 陳潔如は突如狂わんばかりに泣きだした。そして蒋介石の胸を両手の拳で何度もたたく。

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