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『ステーツマン』立ち読み 第721〜780段落

本ページで『ステーツマン』 第721〜780段落を立ち読みいただくことができます。

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「僕は──」答えを考えていなかった子文は一瞬詰まってから、「僕も反対だ。媽媽と二姐が反対している限り美齢は幸せにはなれない」

「それこそ美齢が自分で決めるべき問題じゃないの。美齢が結婚したいと思っているのだから、そうさせてあげるのがいいんじゃないの」

「そんなわけはない」

「あなたに美齢の気持ちがわかるはずないじゃない。女は強い男に魅かれるものよ」

「ばかなことをいわないでくれ」

「じゃあ、本人に訊いてみることね。いまは上海にいないけど、数日で帰ってくるわ」

「ばかばかしい」

といいつつも、子文は思った。蒋介石が一方的に求愛しているものと思いこんでいるが、もしそうではないとしたらどうだろうか。美齢の方が蒋介石と結婚したいと思っており、自分が武漢にいったことで破談になったとしたら、美齢にいったいどんなことばを掛ければいいのだろう。

 それに、靄齢にどんな打算があるにせよ、姉のことばに逆らいその利益を妨げることは決して嬉しいことではなかった。

 家族のことを思うとき、子文の心は川面で波に弄ばれる落ち葉のように揺れ動いた。

 翌日、武漢行きの用意が整ったことを伝えにシーアンが訪ねてきた。

 シーアンは、一晩にして子文の考えが変化していることに驚きを隠さなかった。

 子文が「少し考える時間がほしい」というと、シーアンは、子文が武漢と南京のどちらの社会、経済体制が優れているか、それを悩んでいるものと捉えて、いった。

「私はコミュニズムを支持する気はないが、独占資本を制限し、農民へ土地を再分配して労働者や農民を扶助するというのが孫逸仙注の思想ならば、武漢政府にこそそれが引き継がれていると思う。きみが孫逸仙の遺志に従順であろうとするのならば、きみのいるべき場所は武漢なのではないのか」

「僕もそう思っているよ。それは間違いないのだけれど──」

「私には蒋介石はディクテイターシップ(独裁)を進めようとしているように思える。いや、インペリアリズム(帝政)を目指しているといった方がいいのかもしれない。彼は上海にくるまでに多数のひとを弾圧してきている。そしてあの四月十二日の上海での暴挙だ。民衆を軽んじてすでに独裁者きどりでいるとしか思えない」

「確かにやり過ぎていると思う──」子文は弱々しくうなずいた。「ただ僕は、独裁者に支配される社会以上に民衆に支配された武漢の方を怖れるよ。民衆はなんでもかんでも要求する。求めるばかりだ。しかし負担なくしてなにかを得ることなどできない。失望した民衆はさらに攻撃的になり、その結果経済は崩壊に向かうのかもしれない」

 シーアンが小さく首を傾げていった。

「ひとつ確認しておきたいのだが、きみは大衆運動に対して感情的な敵意をもっていて、それがために大衆による社会革命を嫌悪しているということはないか。武漢で群衆に殺されかかった経験がそういわせているということはないか」

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「そんなことは──」

そんなことはない、と反論しかかったが、子文はそこで口を噤んだ。確かに昨年末に群衆に襲われた恐怖は未だに心に染みついている。子文は冷静な口調でいった。

「確かに僕は大衆運動を嫌っているのかもしれない。ただ、民衆の方も僕を嫌っている。ただの経済官僚である僕は政治家のように大衆の人気をとろうとしないからね。僕は全く人気がないのだよ。そんな僕が武漢へいってなにができる。襲われるのは確かに怖いが、僕がおこなおうとする政策が支持されないことをこそ怖れる」

 シーアンは首をうなだれて、

「もしきみが武漢にいかないという結論をだしたならば、きみのお姉さんに対していったいなんといえばいいのだろう。お姉さんはきみの帰りを心から待っている。あの可憐で美しい女性が悲しむ顔をみるのは実に忍びない」

「姉さんか──」

 慶齢のことを想うと、とたんに判断の力が鈍くなる。自分が武漢にいかなければ慶齢は家族のなかでひとりだけ別の道を歩むことになる。慶齢の儚げな笑顔を思い浮かべたとき、子文の心は再び揺れ動く。

「とにかく、用意を整えてもらったのに申し訳ないが、いまは答えをだすことができない」

「ならば今日は帰ることにしよう。いずれにしても私は三日後に武漢に戻る。それまでに決めてくれたまえ」

 翌日も訪ねてきたシーアンは政治的な話題には触れず、子文の家族のことを説得材料の中心に据えた。前日に慶齢に話がおよぶや子文の態度が変わったためだろう。このシーアンの戦略変更は効果があり、子文はシーアンの話に耳を傾け、武漢行きを否定することばは口にしなかった。

 その翌日。

 シーアンが予約した汽船の出航は明日に迫っている。

 子文の心は武漢に傾いており、未だに煮え切らない気持ちを残しつつも、シーアンに対して

「きみとともに明日の船に乗ろう」

といって驚かせた。シーアンは喜んだが、すぐに表情を引き締めて、

「この家を監視している者に妨害されないよう密かに船に乗りこまなくてはならない。作戦はあらかじめ考えてある」

 シーアンは前のめりになり、声を潜めた。

「私はこれからホテルに帰って車の用意をする。今夜、私は歩いてこの家に戻ってくる。監視者が顔を確認できるように正面から堂々と家にはいる。そのあとこっそり庭を通って裏の道にでて、用意した車に乗る。車のなかで帽子を深く被れば通訳のミスター王のできあがりだ。ミスター王は正面からこの家にはいり、そして数時間後、今度はきみがミスター王の帽子を被って私と一緒に家をでて、正面に待たせておいた車に乗りこむ。玄関前は暗いし、帽子を深く被っていれば監視者に気づかれることはない」

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 シーアンは、

「今夜決行するぞ」

といいながら、子文の肩を叩いた。肩を叩く力が思いのほかに強かったのは、もう迷ってくれるな、という意味なのだろう。

 シーアンに対しては明日の船に乗るといったものの、子文の心のなかは未だに晴れてはいなかった。

 ビジネスの世界を離れて孫文革命に身を投じたときも、広州で中央銀行を設立し財政改革を実施していったときも、深く悩むことなく常に迅速な判断をおこなってきた。しかし今回ばかりは違う。軟禁状態に置かれていて考える時間がいくらでもあるために却ってそうなのかもしれないが、いくら考えても判断を固めることができず、いずれかに決めたように思っても、夕食をしたり、庭を一周したりするあいだにも気が変わってしまうのだ。

 子文はシーアンが去ったあとのリビング・ルームの窓辺に立ち、庭に立つ樹木の枝葉が風にわずかに揺れる様を眺めた。

 上海は梅雨にはいり、ここ数日雨が続いた。まさにいまの気分を表しているようだと思っていたのだが、今朝はまだ降っていたはずの雨は、いつのまにかにやんでいる。雲の切れ間からときおり顔をだす太陽がつくる庭の木々の影をみながら、自分だけが世間から取り残されているような、そんな感じがしていた。

 背中から秘書に声を掛けられた。

「お客様がいらしているあいだに電話がありまして」

「誰からだい」

「妙な名前のかたです。シャオダオ・ランツーとか」

「シャオダオ?」

と、子文は訊き返したが、すぐに「ジョージか!」と叫ぶようにいった。

 子文の張りのある声を久しぶりに聞いた秘書はとまどい、いった。

「今日、北京から上海に到着したそうで、お会いしたいとのことです。お急ぎかとお尋ねしたところ、急ぎではないが三日後には北京に戻らなくてはならないので、それまでに、とのことでした」

「いま、どこにいる」

「マジェスティック・ホテルにお泊りだそうです」

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