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タリバンとアフガニスタン情勢〜コーヒーブレイクしながらわかる

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まず、アフガニスタンという国について、簡単にみておきましょう。

アフガニスタンは中央アジアの山岳地帯に位置し、中国、パキスタン、イラン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンと国境を接しています。

面積は約65万平方キロメートルで、日本の約1.7倍もの広さがあります。山が多く、そこに隠れて勢力を保持・拡大できることが、武装勢力の活動が活発な一因となっています。

人口は3900万人で、パシュトゥン族が人口の42%を占めますが、タジク族、ハザラ族、ウズベク族など多数の民族が暮らす多民族国家です。

宗教は、国民の約85%がスンナ派イスラム教徒で、約14%がシーア派イスラム教徒です。

首都はカブールで、人口の約65%が農業に従事する農業国家です。天然資源が乏しいことや、政情の不安定が続いていることなどから、世界で最も貧しい国のひとつで、一人当たりのGDPは5万円ほどです。

アフガニスタンは、1919年にイギリスから独立し、それ以降、王政が敷かれていました。

アフガニスタンは部族社会で、部族の長が各地方での権力を握っており、国王は、部族の長と長老の合議による会議で選出されました。

1953年、国王の従兄弟で親ソ連のムハンマド・ダーウードが首相に就任します。ダーウードは各種の改革に着手し、これにウラマーと呼ばれる宗教指導者たちが反発し、反政府キャンペーンを展開しました。ダーウード首相はウラマーに対する大規模な弾圧を行うのですが、これが、のちのアフガニスタンにおいて、旧世代のイスラム勢力が影響力を失い、かわって急進的なイスラム神学校の学生たちが台頭する遠因となります。

1963年、世論の反発を受けて国王はダーウード首相を退陣させますが、その10年後の1973年に、ダーウードはクーデターを起こし、王政を廃止しアフガニスタン共和国を建国しました。大統領に就任したダーウードは、改革に反対するイスラム指導者や共産主義政党の弾圧を行いました。

そして1978年、軍事クーデターが起き、ダーウード大統領は殺害され、共産党政権のアフガニスタン民主共和国が成立しました。

しかしこれに対抗する勢力が武装蜂起し、アフガニスタンのほぼ全土を勢力下におさめたことから、親ソ連である政府はソ連に軍事介入を依頼し、1979年12月にソ連がアフガニスタンに侵攻します。

政府軍およびソ連軍と戦ったのは、ムジャヒディーンと呼ばれる、イスラム教の大義にのっとる民兵たちでした。ムジャヒディーンにはイスラム諸国からの義勇兵が多数含まれており、そのなかには1988年に国際テロ組織「アルカーイダ」を設立するオサマ・ビン・ラディンも含まれていました。共産主義に対抗したいアメリカは、密かに武器供与を行うなどしてムジャヒディーンを支援しました。つまりアメリカは、20年後にはアメリカを悩ますことになる敵に対し、支援をしていた、ということになります。

ソ連軍は約10年間アフガニスタンに駐留し、1989年に撤退します。そして1992年に共産党政権が崩壊すると、ムジャヒディーンの軍閥同士の勢力争いで、アフガニスタン国内は激しい内戦状態に陥りました。


ソ連軍の撤退と共産党政権の崩壊後の混乱状態のなかで、イスラム神学校を開いていたムハンマド・オマル師の指導のもと、アフガニスタンからパキスタンへ逃げイスラム神学生で学んだ学生たちが多数加わって組織された「タリバン」が、勢力を拡大していきます。

ちなみに「タリバン」というのは、パシュトー語で「学生」を意味します。パキスタンとアフガニスタンにまたがる地域のパシュトゥン族がメンバーの多数を占め、政権を掌握すれば、シャリア、すなわちイスラム法の厳格な解釈を行うことを通じて、平和と治安を回復すると約束しています。

アフガニスタン全土の南半分を勢力下におさめたタリバンは,1996年9月に政府軍を破って首都カブールを制圧して、アフガニスタン・イスラム首長国の樹立を宣言しました。このときは、世界のどの国からも承認されませんでしたが、1997年5月に北部の主要都市のマザーリシャリフを制圧すると、パキスタンが承認を行い、サウジアラビアとアラブ首長国連邦がこれに続きました。タリバンはその後も少数民族の武装勢力を次々と破り、1998年には全土の90%近くを支配するに至りました。

タリバンが登場した当初、国内の混乱状態に嫌気が差していた人々は、汚職を無くし、無法状態を改善させたタリバンを概ね歓迎しました。しかしタリバンは、厳格なイスラム法の解釈に基づき、残酷過ぎる刑を執行したり、女性に全身を覆うブルカの着用を義務付け、10歳以下の少女が学校に通うことを認めないなど女性の人権を損ねたり、テレビや音楽を禁止するなど自由や文化を侵害したりしたことから、特にパシュトゥン族以外の民族は、不安と不満を募らせました。

対外的には、もともとタリバンは、欧米諸国に対して明確な敵意を示してはいませんでしたが、1997年に保護下に入れたオサマ・ビン・ラディンの考えに影響されて、欧米諸国や国連に対して攻撃的な声明を発出するようになっていきます。1998年と2001年には、偶像崇拝を禁止するとの考えから、世界遺産のバーミヤン州の仏教遺跡群の石像を破壊し、国際的な批判を浴びました。

1998年にアルカイダのテロリストがタンザニアとケニアのアメリカ大使館を爆破する事件が発生します。アメリカ政府はタリバン政権に対して、オサマ・ビン・ラディンの引き渡しを要求しましたが、タリバンは応じませんでした。これによりアメリカとの関係が大いに緊張します。

1999年、国連安全保障理事会が、アフガニスタンへの民間航空機の乗り入れ禁止やタリバン関係の銀行口座の凍結などを定めた安保理決議第1267号を採択しました。

2000年には、イエメンのアデン港で発生した米駆逐艦爆破テロ事件に関連して、改めてオサマ・ビン・ラディンの身柄引渡しを求める安保理決議第1333号が採択されましたが、タリバンは引き渡しを拒絶し続けます。

そして2001年9月に米国同時多発テロ事件が発生し、その後もタリバンはオサマ・ビン・ラディンの身柄引渡しを拒否したことから、アメリカ主導の連合軍が、10月に、安保理決議第1368号に基づく自衛権の発動としてアフガニスタンへの攻撃を開始しました。タリバン政権は連合軍の攻勢に後退を重ね、12月に、最後の拠点であるカンダハールを放棄して崩壊しました。


タリバンは、南部のカンダハールを中心にして体制を立てなおし、また、隣国のパキスタンとの国境地帯を拠点に勢力を回復させていきました。

そしてまもなく武装活動を再開します。

2005年ころから活動を活発化させ、自爆攻撃や即席爆発装置などによる攻撃を実施し、アフガニスタン南部や東部でテロを拡大させていきました。

2008年には治安が著しく悪化し、首都のカブールの周辺でもタリバンによる攻撃が行われました。8月には、日本人拉致・殺害事件も発生します。

タリバンの活動の活発化を受け、2009年、アメリカのオバマ大統領は駐留軍の兵員を、3回にわけて、従来の2倍の6万8千人に増員しました。

ただ一方でアメリカは、戦費の削減を求めるアメリカ議会の声や、2011年にはオサマ・ビン・ラディンを殺害したことを受け、段階的にアフガニスタン駐留軍の規模を縮小していきます。

オバマ大統領は、2011年までに撤退を開始すると表明しました。

2011年、オサマ・ビン・ラディン殺害のあと、10万人に達していた駐留軍を、年内に1万人、2012年夏までに3万3000人削減すると発表します。

2013年、タリバンがカタールの首都ドーハに対外的な窓口となる事務所を開設し、水面下でのアメリカとの交渉を開始しました。

そして2014年、アメリカとイギリスがアフガニスタンでの戦闘活動を終了し、国際部隊の大部分が撤退します。

ところが、それを待っていたかのように、タリバンの攻勢が積極的となります。2015年9月には、アフガニスタン第5の都市のクンドゥーズがタリバンにより占領されました。タリバンがアフガニスタンの主要都市を占領したのは2002年以降で初めてのことでした。オバマ大統領は、残留していた駐留兵9800人の撤退延期を余儀なくされました。さらに、翌2016年7月には、2017年も8400人の兵士を駐留させると発表しました。

2017年にトランプ政権が誕生すると、トランプ大統領は、同年8月に、タリバンの勢力拡大を受けた増派を表明しました。


増派を決めた一方で、トランプ政権は、タリバンと和平協議を続けました。そして2020年2月、アメリカ軍の完全撤退を含む和平合意が調印されます。

合意には14ヶ月以内の完全撤退が盛り込まれ、つまり2021年5月1日が撤退期限とされました。タリバンはアメリカへの攻撃をやめ、アルカイダなど武装勢力の活動を認めないことなどを約束しました。

2021年1月に政権に就いたバイデン大統領も、アフガニスタンからの米軍完全撤退の方針で、2021年4月に、和平合意の以降もテロや戦闘が続いていることから、撤退期限を4ヶ月延長し、同時多発テロから20年目となる9月11日とすると発表しました。そして7月に、「アフガニスタンの政府軍には十分な力が備わっている」として、8月末に撤退を繰り上げるとしました。

バイデン政権が現地軍の撤退を決めた背景には、まず、戦争の長期化により戦費がかさみ、派遣された兵士の数も積み上がって、アメリカ国内で厭戦の空気が広がったことがあります。また、バイデン政権の高官は、中国が軍事的活動を活発化させるなかで、人員や資源を対中国用に再配置する戦略の一環であるとしています。それから、そもそもアメリカがアフガニスタンに侵攻したのは、オサマ・ビン・ラディンを匿っているからで、オサマ・ビン・ラディン殺害により、当初の侵攻の理由は失われてしまっていることも理由です。加えて、アメリカは今や世界一の産油国であり、原油輸出国でもあるので、タリバン政権を倒した2001年ころに比べれば、中東の情勢に関与する必要が薄れたということも関係していると言っていいでしょう。

2021年5月、アメリカ軍とNATOの各国軍が撤退を開始します。

すると同月、タリバンは南部のヘルマンド州でアフガニスタン軍への大攻勢を開始しました。6月には北部でも攻撃を開始します。

7月2日、カブール北部の空軍基地から、アメリカ軍やNATO軍の撤収がほぼ完了します。

8月6日、タリバンは、南西部のニムルーズ州の州都ザランジを制圧します。翌日以降、クンドゥーズ州、サレプル州、タハール州、バダフシャン州などの州都を制圧し、8月12日に西部の主要都市、ヘラートを制圧します。翌13日には南部の第2の都市カンダハルなどを、14日には北部の要衝マザリシャリフなどを、15日には東部のナンガルハル州などの州都を制圧します。そして、全土の90%あまりの31の州都を支配下に置き、首都カブールに進攻し、翌16日に勝利宣言を行いました。

アシュラフ・ガニ大統領は国外に脱出し、大統領官邸はタリバンによって占拠されました。

侵攻のスピードはアメリカ政府などの予想に比べて圧倒的に速かったのですが、これは、タリバンの士気が高く、一方で政府軍は、汚職もはびこり士気が低かったことや、タリバンは数ヶ月間から周到に各地の有力者に対し無血開城をするよう根回しを行い、多くの地方が、市民の犠牲を出さないために早々に投降したことなどが理由です。

今後については、タリバンはアフガン政府に対して政権移譲の交渉を開始しており、タリバン政権が誕生する可能性が高くなっています。

タリバンは、現在のところ、旧指導層に対する虐待や報復などを避けるなどし、また、アフガン人の身の安全は保障されると宣言するなどしており、かつてのような残忍な行動は控えているようです。しかし市民は強い不安を抱いており、タリバンの残忍さを恐れ、何千人もの市民が国外へ脱出を試みている模様です。女性たちが、タリバンによって職場から去ることを強要されているといった報道もあり、女性たちの人権がひどく侵害されることは確実とみられます。

8月15日、日本やアメリカ、イギリスなど60カ国は共同で声明を発表し、アフガン人や外国人が国外に安全に退避できるよう求め、また、「アフガニスタンの人たちは安全と尊厳が保たれた状態で生活ができなければならない」として、今後の政権運営にあたって女性の人権の確保などを求めました。

とはいえ、諸国にできることは、タリバン政権を正式承認しないことと、経済制裁を実施することがせいぜいであり、タリバン政権を覆すことはできず、また、経済制裁の実施は、アフガニスタンの人々の生活を却って苦しくすることになります。

アメリカ政府は、女性の権利を尊重し、テロリストを匿わない場合は協力する用意があるとしており、タリバンによる政権掌握を容認もしくは黙認する可能性を示しています。アフガニスタンがテロの温床となり、アメリカ本土が危機に晒されることになれば、再び武力を投じることもあり得ますが、問題が人権だけの場合は、香港の事例にみるように、アメリカ政府が動くことは考えにくいと言わざるを得ません。


Some clues...

省略(動画本編でご覧ください)

 

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