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円の歴史【第2回】金本位制度と昭和恐慌〜コーヒーブレイクしながらわかる

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金本位制度の確立

前回お話ししたように、アメリカやメキシコでの銀産出量が急増したことや、ヨーロッパ諸国が銀本位制度から金本位制度へと移行していったことなどから、銀の国際価格は下落傾向にありました。

グラフは、ロンドンでの銀1オンスの価格の推移を示したものですが、ちょうど日本で新貨条例が出された1871年ころから一貫して銀価格は下落し、約20年で、およそ半分の価格になってしまいました。

日本は実質的に銀本位制度だったので、銀価格の下落は、イギリスのポンドなどの金本位制度を採用する多くの欧米諸国の通貨に対して、円安となることを意味しています。一般的に円安となれば、輸出が伸び、輸入が減って、国内の景気にはプラスとなりますが、極端な円安は輸入品価格の上昇を通じて、国内のインフレにつながります。当時、銀価格が半分になったということは、今で言えば1ドル105円のレートが短期間のうちに210円になったようなものです。グラフは東京と大阪の物価の推移を示したものですが、銀との兌換を約束する日本銀行券を発行し、実質的な銀本位制度に移行した1885年前後から、物価がかなりのスピードで高騰しているのがわかります。

このため政府内では、通貨を安定させることが国益につながるため、金本位制に移行すべきとの考えが主流となっていくのですが、金本位制を実施するためには巨額の金準備が必要、つまり、原則として、発行している通貨の分だけ金を所持している必要があり、日本にはそれがありませんでした。

ところが1895年、日本は、日清戦争に勝利したことにより清国より賠償金を受け取れることとなり、約3800万ポンドの金を獲得しました。そこでこれを金準備として、1897年に施行された貨幣法によって金本位制度が実施されることとなりました。

このとき定められた貨幣法には1円は純金750mgと等しいとされてました。明治4年に新貨条例が制定されたときは、1円は純金1500mgに等しいとされていたので、26年間で、円の価値はちょうど半分になったことになります。


第一次世界大戦期の金輸出禁止

ところで、そもそも金本位制度とはどういう仕組みなのか、簡単におさらいしておきましょう。

金本位制度には、二つの側面があります。

一つは、政府が紙幣と金とを一定の比率で交換することを約束しているということで、これまでの章で「金本位制度」という単語を使ったときは、主にこの側面についてお話しいたしました。

もう一つの側面は、貿易取引での最終的な決済手段として金が使用される、ということです。

日本の輸入業者がイギリスから輸入する場合、通常外国為替市場で円を売って貿易決済用のポンドを購入しますが、金本位制度下では、政府の決めた一定比率で円を売って金を買い、その金をイギリスに送って貿易の決済をおこなうことができるのです。

つまり各国が金本位制度を採用していれば、金が各国の事実上の共通通貨となります。一国に一種類しか通貨がないのが当然であるように、当時は、金本位制度をとることが当然のことのように考えられていました。

それに当時は、特殊な場合を除き、金本位制度によって世界経済は安定すると考えられていました。例えば貿易収支が赤字の国で、輸入代金の支払いが金で行われたとすると、中央銀行は輸入業者の兌換請求に応じて紙幣を買い取り、金を売ります。すると国内の貨幣供給量が減少して、物価が下落します。その結果、その国の輸出品が価格競争力を得る一方で、輸入品は割高になって輸入が減少し、貿易赤字が解消されていく、貿易黒字国についてはこの逆が働いて、貿易収支が均衡に向かう、という考え方です。

さて、特殊な場合を除き、金本位制度によって世界経済は安定すると考えられていた、と言いましたが、その「特殊な場合」が発生します。

1914年に勃発した第一次世界大戦です。

各国は、戦争により増大が予想される対外支払いに備えるために、金と紙幣との兌換の停止や金の輸出の禁止を行いました。つまり金本位制度が一時的に棚上げされたのです。

日本も1917年9月に金の輸出を許可制として、事実上の禁止を行いました。


金解禁と昭和恐慌〜井上準之助と高橋是清

第一次世界大戦が終結すると、まずアメリカが1919年に金本位制度に復帰します。翌年以降、各国が金輸出を解禁していき、1928年のフランスの解禁によってほぼ全ての主要国が金本位制に復帰しました。

ところが、日本はとても解禁できる状況にはありませんでした。

第一次世界大戦とその後の復興の時期、戦争で打撃を受けたヨーロッパ諸国は世界市場での地位を一時的に退き、その隙間を埋めた日本は好景気に沸きました。ところが1920年代に入ってヨーロッパ諸国が市場に戻ってくると状況ががらりと変わります。日本は、輸出の減退により経常収支の赤字が常態化し、1923年9月には関東大震災が発生して、復興資材の輸入によって経常収支はさらに悪化しました。そして1927年3月、長引く不況で中小銀行が疲弊していたところで、大蔵大臣の失言(「本日正午ころ渡辺銀行が破綻しました。預金が3700万円もある銀行なので何とか救済しなければならない」)をきっかけとして取り付け騒ぎが起こります。昭和金融恐慌の発生です。

この流れの中で、経済の状況が良かった1919年頃は、アメリカが金本位制に復帰したので、アメリカ等との貿易の便宜のために日本も追従すべきとの意見や、貿易赤字が続く中で円安が進んでいることからインフレ懸念が高まっており、物価を抑制するために金の輸出を解禁すべきとの意見が財界などから出されていました。しかし、高橋是清大蔵大臣は、将来予想される中国への経済的進出のために金を温存すべきとの考えであり、これ以降訪れることのない金本位制復帰のチャンスを逃すことになりました。

その後の日本は慢性的不況に苦しみ、経常収支もほぼ一貫して赤字の状態にありました。もしも経常収支赤字の状態で金の輸出を解禁すれば、金が流出し枯渇してしまう恐れがあり、経常収支の赤字の結果、金の輸出禁止以降、円安が進んでいましたが、1897年の貨幣法で定められた1円=純金750ミリグラムのレートで金本位制度に復帰すると、一気に円高にしなくてはならず、ただでさえ悪い景気が一層悪化してしまいます。このため、日本は金本位制度になかなか復帰できませんでした。

しかし、経常収支の赤字は、関東大震災後の1924年に最大となったのち、改善に向かい、1929年にはほぼ10年ぶりに黒字に転じました。為替レートは、1924年末には100円が40ドルを切る円安となりましたが、その後は経常収支の赤字幅減少に伴い緩やかに円高に進み、1926年頃からは時に100円=45ドルを超えるようになりました。1897年貨幣法に基づけば100円=49ドル7/8となるのですが、円ドル・レートはかなりその水準に近づきました。

こうした状況の中、1929年7月に首相に就いた浜口雄(お)幸(さち)と大蔵大臣井上準之助のコンビが、ついに金解禁を断行します。井上大蔵大臣は既に進行中だった1929年度の予算を、強い緊縮財政予算に組み替え、公開市場操作による金融引き締めも行いました。その結果円ドル・レートは一気に100円=49ドル7/8近辺にまで上昇し、これを見た内閣は、翌年1月をもって金解禁を行うと宣言しました。

ところが、この金本位制は極めて短命で終わります。

金解禁宣言直前の1929年10月24日にニューヨーク市場で株価が暴落し、その後、世界は恐慌に突入していきます。のちに「荒れ狂う暴風雨に向かって雨戸を開け放った」と言われるように、最悪のタイミングでの金解禁だったのです。

金解禁の影響はまず、金の流出という形で現れました。金の輸出が解禁されると、アメリカ等の銀行が、待ってましたとばかりに金を日本から持ち出しました。グラフは日本国内の金準備の金額を示したものですが、金解禁前に約11億円だったものが、その後2年で6億円以上も減り、半分以下になってしまったことがわかります。

このような金準備の減少は、通貨供給量を減らし、物価を下落させます。物価水準は1930年には前年比マイナス17%、1931年には同じくマイナス15%と急落しました。

日本の輸出入額は、1930年に前年比マイナス30%、1931年には同じくマイナス21%にもなりました。これは、世界恐慌によりアメリカ等の需要が減退したことに加え、1897年の貨幣法で定められた水準、すなわち旧平価で金解禁を行ったためです。旧平価での解禁のために強引な円高誘導がなされていたため、輸出産業が競争力を失ってしまいました。

井上大蔵大臣は、翌1930年度以降も緊縮財政予算を組み続けましたが、こうした政府の施策が景気の底を一層深くします。

街には失業者が溢れ、中でも農村の窮乏が激しく、娘の身売りが横行しました。いわゆる「昭和恐慌」です。日本史の授業でも習ったとおり、昭和恐慌で農村が困窮したことが、二二六事件などにつながっていきます。つまり金解禁のタイミングの失敗が太平洋戦争の遠因であるということもできます。

結局1931年12月、大蔵大臣が井上準之助から高橋是清に代わったその日に金輸出の再禁止がなされ、日本は金本位制から離脱しました。その後為替レートは一気に円安に進み、輸出が増え、日本経済は回復していきます。


Some clues...

省略(動画本編でご覧ください)

 

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