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産油国三国志と原油価格の暴落

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1. 原油産国志前史

まず最初に、原油生産の歴史について簡単におさらいしておきましょう。

1970年代まで、世界の石油は、生産から輸送、精製、販売までを一手に担うイギリスやアメリカなどの企業、いわゆる石油メジャーにより支配されていましたが、これに不満の産油国が石油メジャーに対抗し自国の利益を守るため1960年にOPECを設立しました。

産油国は原油生産の国有化などを進め、石油メジャーの支配から脱却していきます。1970年代にはOPEC参加国が原油生産の60%を占めるようになり、価格支配力を得たOPECは1973年末から翌年初にかけて原油価格を1バレル約3ドルから11ドル台へとおよそ4倍に引き上げました。いわゆる第一次オイルショックです。

1980年代になると、北海油田などOPEC以外の産油量の増大や各国による石油依存からの脱却などにより原油価格は大きく下落します。OPECの求心力が低下し、OPECで定めた生産枠をクウェートなどが無視して増産し、それをイラクが不満に思ったことが湾岸戦争の要因でした。

2003年、イラク戦争をきっかけにして原油価格は上昇に転じます。これは中東情勢が不安定で供給不安があり、一方で中国などの経済成長により需要が高まったためです。価格上昇につれOPECの世界経済における影響力も強まっていきます。原油価格は1バレル147ドルにまで高騰したあと、リーマンショックにより一時的に1バレル33ドルにまで暴落しますが、OPECは減産により原油価格維持に務め、価格は再び高騰し、2011年から3年間ほどの期間は1バレル100ドル前後の状態が続きました。


2. 米の躍進と露沙連合

2010年代に入り、いわゆるシェール革命が起きます。それまで困難だったシェール層からの石油や天然ガスの抽出が可能になって、世界の産油国の勢力図は大きく変わります。以降、サウジアラビアとロシア、アメリカの三つ巴の戦いが始まります。

アメリカの原油生産量は1970年にピークをつけたあと減少傾向となり、2008年にはピークのおよそ半分にまで落ち込みました。しかし2009年からはシェールオイルにより生産量が急進します。アメリカは2014年には世界最大の産油国となり、2015年末には40年ぶりに原油の輸出を解禁しました。

原油の供給量が一気に増加したため2014年の後半から原油価格が下がり始めます。しかしOPECは価格維持のための減産を行いませんでした。これはシェールオイルは中東の石油に比べて生産コストがかなり高いため、1バレル50ドルをも下回る価格が続けば、シェールオイルは採算が合わず米国の生産企業は早々に倒れるだろうとの思惑があったのです。

原油価格はわずか半年の間におよそ半分の50ドル前後にまで暴落しました。2016年1月にはイランの核開発問題に関連した経済制裁が解除されてイランの石油輸出が始まったこともあり1バレル30ドルをも下回ってしまいます。これにはアメリカのシェール企業は耐えきれず、100社以上のシェール企業が経営破綻しました。2016年のアメリカの石油生産は前年より減少してしまいます。

1バレル30ドルを下回る価格は行き過ぎなので、2016年11月にOPECはリーマンショックのとき以来の8年ぶりの協調減産を決定しました。これにロシア等の非OPEC諸国が加わり、いわゆるOPECプラスとして2017年1月から原油価格の押し上げが開始されます。

その結果、原油価格は2018年には1バレル70ドルを超えました。

そこで2018年6月、OPECプラスは減産を緩和することで合意し、原油価格が下がり始め、2018年末には50ドルを下回ります。そのため再び2019年1月から6ヶ月間の減産が合意され、また、イランに対する経済制裁再開などもあって価格はいったん持ち直します。そして7月、OPECプラスは9ヶ月間減産を続けることで合意しました。


3. そして2020年

2020年の年初に1バレル60ドルを超えていた原油価格は、新型コロナ肺炎の影響で下落し、2月末には50ドルを下回りました。その状況のなかで、減産合意の期限が切れる直前の3月6日にOPECプラスの会合が開催されました。

OPECプラスは1日210万バレルの協調減産を実施してきていますが、サウジアラビアを中心とするOPECは新型コロナ肺炎拡大による需要減少に対応するために減産幅を150万バレル追加し360万バレルとする案をOPECプラスに提示しました。

ところがロシアは現行の減産を6月末まで延長すべきと言って譲らず、協議は決裂し、協調減産は3月末をもって終了することになりました。2017年から3年続いたOPECプラスの体制が崩壊したのです。

翌3月7日。サウジアラビアは原油販売価格の大幅値下げを発表しました。原油取引には1回ごとの売買であるスポット取引のほかに、一定期間、指標となる価格に調整金を増減する取引がありますが、この調整金を大幅に引き下げたのです。

さらに3月10日、サウジアラビアは4月より生産量を現状より2割多い1日1200万バレルにすると発表しました。

これらにより原油価格は大暴落しました。OPECプラス会合前は1バレル45ドルでしたが、わずか2週間もたたないうちに20ドル近くにまで下落したのです。この原油価格の急落が株式市場の急落の一因にもなりました。


4. どうしてこんなことになってしまったの?

ロシアが減産幅の追加に反対した理由は、減産を行えばアメリカのシェールオイルにシェアを奪われ、価格を押し上げはアメリカの利益を増やすだけと考えたからです。

一方で、追加減産を主張していたサウジアラビアが協議決裂後にヤケクソとも思える値引きと増産の発表をした理由ははっきりとはしませんが、アメリカの石油業界紙などによると、OPECプラスの会合の前日の夜にサウジアラビアの指導者であるムハンマド皇太子が、妥協点を探るためにロシアのプーチン大統領に電話をかけたもののプーチン大統領が多忙で電話を受けなかったため、ムハンマド皇太子は激怒し、エネルギー担当大臣に対し、大胆な減産強化策を出し、ロシアが反対すればOPECプラスの枠組みを打ち切ってしまえと指示を出したとのことです。それが事実であれば、ちょっとしたすれ違いといっときの感情が世界経済を混乱に陥れる事態を引き起こしたということになります。


5. 今後はどうなるの?

サウジアラビアは3国のなかでもっとも原油の生産コストが安く、1バレル3ドル以下で生産できるようです。ただ、国家が石油に依存する度合いは三国のなかで一番高く、財政が均衡するためには1バレル80ドル程度が必要と言われ、軍事費や国内改革に資金が必要なサウジアラビアは、30ドルを下回る価格にいつまでも耐えることはできないでしょう。

ロシアについては、プーチン大統領はロシアが予算編成の前提としている原油価格は42ドルと発言しており、サウジアラビアに比べれば原油価格下落への耐性はありそうです。とはいえ、30ドルをも下回る価格が厳しいことでは変わりはありません。

そしてアメリカのシェールオイルは、2014年ころにOPECに価格競争をしかけられたときに比べれば技術の改善や効率化により生産コストが大幅に下がりましたが、それでも損益分岐点は40ドル程度と言われています。それを下回る価格が続けば苦境に陥ったシェール企業が倒産します。シェール企業は採掘や製造の設備を買うために多額の社債を発行していますが、それらがデフォルトすれば、信用不安につながり、リーマンショックが再来するのではとの懸念が強まっています。

次回のOPECプラスの会合は6月に開催される予定です。いずれの国にとっても1バレル20ドル台前半というのは到底容認できない価格なので、そこで減産合意がなされる可能性はあるでしょう。とはいえ、新型コロナ肺炎と、それをきっかけとした景気後退により需要が減少しているので、目論見どおりに価格が上がるかどうかは不透明です。


Some clues...

省略(動画本編でご覧ください)

 

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