フォトギャラリー 上海

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上海北站

上海北站1 上海北站2
上海北站はターミナル駅であり、複線の線路が駅に近づくとどんどん枝分かれしていって、駅舎の前でそれらの線路がどん詰まりになるようになっていた。駅舎はもうないが線路は現在も残っており、宝山路站の窓から見ることができる。 当時の駅舎の写真に着色してみたもの。日中戦争中に空爆を受け姿を大きく変えてしまう。

 克治はドアを開きドアステップに片足をかけた。
 列車はまだ動いている。前方に上海北站のプラットホームがみえてきた。その向こうにはゆく手を阻むように駅舎が聳えている。駅舎のうえに昇りつつある朝陽が瞳を刺し、克治は思わず目を細めた。
 プラットホームか駅舎のなか。そのいずれかの場所に王亜樵たち宋子文暗殺者が息を潜めているはずだ。そして、重光葵の暗殺者も。


上海劃船倶楽部(ボートクラブ)

上海劃船倶楽部(ボートクラブ)
上海の蘇州河畔にかつて「劃船倶楽部(ボートクラブ)」があった。この写真は当時の白黒写真に色を加えてみたもの。

 田中隆吉は横殴りの雨のなか、蘇州河北岸の歩道を早足で歩いている。
 すぐ左側を流れる蘇州河は水位が上がり、河水がいまにも道路に溢れだしてきそうだ。この雨のなかで船を動かすものはいないのか、川面には多数の小船が繫留され、上流の方角から吹き下ろしてくる風に吹かれて木の葉のように大きく揺れている。
 前方左手に劃船倶楽部が雨のベールに隠れておぼろげにみえてきた。一時間ほど前に許清より連絡があり、劃船倶楽部から蘇州河を隔ててちょうど正面の対岸で会おうといってきた。田中は、許清がそのような場所を待ち合わせ場所に指定したことを腹立たしく思っていた。わかりやすい場所でありながらも人通りが少ないので密会場所として選んだのだろうが、雨を避けて待つことができる商店の軒先も街路樹も一切ない。もしも許清が自分に遅れて待ち合わせ場所に現れるようなことがあれば、なにもいわずに首を絞めてやろうと心に決めた。


孫中山故居記念館

孫中山故居記念館
孫文は晩年、ここで宋慶齢とともに暮らした。1927年、宋子文は蒋介石によってこの家に軟禁された。

 蒋介石はすぐに汪兆銘を招き、蒋介石に近い党幹部たちを同席させて会議を開くこととした。場所はモリエール路(現香山路)にある孫文邸、すなわち慶齢の留守宅であり、いま子文が寝起きをしている家である。
 リビング・ルームのソファ・セットで汪兆銘と蒋介石が向きあって座り、その他の会議出席者は立ったままでソファ・セットを取り囲んだ。会議といっても汪兆銘ひとりを吊るし上げるような雰囲気である。蒋介石らは汪兆銘に対しボロジンの追放と共産党との決別を迫った。しかし汪兆銘は首を縦に振ろうとしない。蒋介石らは泡を飛ばして訴え、土下座するものまでいたが、汪兆銘は「扶助農工が孫中山先生の遺志である」といって、最後まで共産党排除に同意しなかった。
 ちなみにこのとき子文は単に会議の場を提供しただけの家主のような立場であり、出席者のなかで最年少であることもあってソファ・セットを取り囲む輪にもはいらず、リビング・ルームに隣接するダイニング・ルームのテーブルにひとりで座り、終始沈黙を保ち討議を聞いていた。
 シーアンは前のめりになり、声を潜めた。
「私はこれからホテルに帰って車の用意をする。今夜、私は歩いてこの家に戻ってくる。監視者が顔を確認できるように正面から堂々と家にはいる。そのあとこっそり庭を通って裏の道にでて、用意した車に乗る。車のなかで帽子を深く被れば通訳のミスター王のできあがりだ。ミスター王は正面からこの家にはいり、そして数時間後、今度はきみがミスター王の帽子を被って私と一緒に家をでて、正面に待たせておいた車に乗りこむ。玄関前は暗いし、帽子を深く被っていれば監視者に気づかれることはない」


マジェスティック・ホテル

孫中山故居記念館
現国際飯店あたりから西方をのぞんだ白黒写真に着色したもの。「GRAND」と書かれたビル(大光明電劇院)に隠れた向こう側にマジェスティック・ホテルの広大な敷地があった。

 マジェスティック・ホテルは、南側をバブリィングウェル路(静安寺路・現南京西路)、北側をアベニュー路(愛文義路・現北京西路)に面した広大な敷地に建てられた高級ホテルである。大理石をふんだんに用いた内装、義和団の乱の際に北京の皇族の家から持ち去られたものといわれる豪華な家具、複数の広大な庭園などで知られる。


外灘(バンド)

上海外灘
(おそらく)1930年代の上海外灘。背の高い女神像が立っていたが、日本軍により撤去されてしまった。結構りあるだけれども、この写真は当時の白黒写真に着色したもの。

キャセイホテル(現和平飯店)1 香港上海銀行と海関総税務司署
リース=ロス経済調査団は約半年間キャセイ・ホテル(現和平飯店)に滞在した。写真はそのロビー。 写真は『カレンシー・ウォー~小説日中通貨戦争』表紙の画像で、香港上海銀行(現浦東発展銀行)ビルの内側から撮ったもの。右上に、香港上海銀行の北側に隣接する海関総税務司署(現上海海関大楼)の象徴である時計台が見えている。(つまり、実を言えば、この写真は左右が反転されている)

 小島は克治を聯盟通信社の事務所に連れていったのち、すぐに外灘(ワイタン)にある海関(ハイグアン)総税務司署(現上海海関大楼)に向かった。
 応接室にはいっていくと、すでに上海市長の張群(ジャンジュン)らがきており、少し遅れて重光も駆けつけてきた。子文の姿はない。
 小島が上海北站での事件の顛末を語っていると、ほどなくして焦燥しきった表情の子文が現れた。
 応接室で待っていた人々はみな、子文も事件のことを話すものと思っていた。しかし、悲しげにゆっくりと一同をみまわしてからようやく発せられた子文のことばは、全く予想外のものだった。左手には一枚の紙が握りしめられている。
一行は財政部の用意した車で郵船桟橋から歩けるほどの距離のサッスーン・ハウス(現和平飯店北楼)に向かった。ピラミッド型の屋根が特徴的なサッスーン・ハウスに入居する名門ホテル、キャセイ・ホテルがこれから数ヶ月間の住居となり、事務所となる。
 一行はいったん部屋にはいったものの、ポーターに預けたバッグが届けられるよりも先に部屋をでて、キャセイ・ホテル内の会議室に向かい、宋子文との会見に臨んだ。

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