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本ページでは他サイト等に掲載された大薗治夫の過去の著作物を再掲しています。

海を見たい?それなら舟山諸島へ

朱家尖東沙
朱家尖の「東沙」ビーチ。実を言うと、この写真は
海と空の青色をちょっと強調しているのであしからず。

前回の「SHANGRI-LAへ」から1年近くも休んでしまったが、その理由は本業に忙しく、この間国内旅行をほとんどしなかったことだ。何人かの方から「次の旅行記はまだか」と催促いただいたが、旅行をしないのだから書くことができない。どこかへ行かねばと思い、2月に有名観光地でありながら今に至るまで訪れる機会のなかった桂林に行ってみたが、特に面白い事件も起こらず、各種観光ガイドでも述べられている地について説明してもしようがないので、旅行中につけたメモも捨ててしまった。

それから4ヶ月、社内の慰安旅行で上海から車-高速艇と乗り継ぎ約4時間、距離にすれば200KMほどの舟山諸島に行くこととなった。9人の団体旅行であり、出会いも事件もなかったのだが、日本人があまり訪れないわりに、皆様にご紹介する価値のある場所と思われたので、紙にしてみることとした。このため今回は旅行記というよりは観光案内的に記述をするが、この点ご了承いただきたい。

上海から普陀山へ

実は普陀山へ行くのは今回で二度目である。前回は私が中国に来た年だからもう5年前のことだ。覚えているのは、上海から浦東新区の太平洋岸までバスで行き、そこから高速艇に乗り換えるのだが、このバスが狭くかつ古いので船に乗るまでに疲れてしまったことだ。あれから5年経ったので少しは状況は改善されているだろうと思ったが、実際にはほとんど進化の跡が見られなかった。

上海外灘に位置する十六舗を8時20分に出て、船着場到着が9時40分。たしか以前は2時間かかったので、道の改善によりバス乗車時間は短くなったようだが、バスのシートがきたないこと、背もたれが壊れていて常にリクライニングの状態になっていること、道の継ぎ目のたびに飛び上がってしまうこと(本当に尻が浮くのだ!)は変わっていない。船着場に着いた時にはもうグッタリである。まあ中国の旅ではこの程度のことは珍しくもなんともないのだが、上海の生活に慣れていると結構キツイ。

しかしそこから先の船は快適なものだ。天気にもよるのだろうが揺れもほとんどなく、定員の半分くらいの人数しか乗客がいないのでゆったりと座れた。5年前もそうだったが、クーラーがききすぎで寒いのが難点だったが。

12時30分に到着。60元の入山料を支払って「仏の国」普陀山に足を踏み入れた。

★普陀山への足

上海から普陀山へは通常は上記のように、バスと高速艇を乗り継いでいく。「飛翔輪」と「新世紀」のニ艇が毎日運行されており、前者は上海芦潮港、後者は上海金山とやや違う位置から出る。ただいずれもバスの基点は十六舗であり、所要時間も船の乗り心地も、そしてバスの乗り心地もあまり変わらない。料金は片道153元。

その他、十六舗から夜行船で行く方法もあるが、所要12時間なのでお勧めできない。

飛行場はないが、後述するとおり、となりの島、「朱家尖」に空港があるのでそれを利用する手もある。

普陀山

舟山諸島で最も有名なのがこの普陀山である。11.82平方キロの小さなこの島は「海天佛国」と呼ばれる仏教の聖地だ。山西省の五台山、四川省の峨嵋山、安徽省の九華山と並び中国の「四大仏教名山」の一つに数えられる。82年に、全国で44箇所の第一級国家級重点風景名勝区のうちの一つに選ばれた。訪れる人のほとんどは観光客だが、仏教上重要な日には全国から仏教徒が集まってくる。

古来日本との関係が深く、留学等で中国にやってくる僧侶の多くがここに立ち寄ったという。ある者はここを起点にさらに寧波へ、ある者は遥か奥地の長安まで上っていったわけだが、その長い旅の玄関口である普陀山に着いた時の感銘は如何なるものだったろうか。鑑真和尚が748年に日本に渡ったのもこの地からであった。実は、普陀山の発展には日本人が大いに関係している。唐の咸通4年(863年)に日本の僧侶慧鍔が五台山より観音像を日本へ持ちかえる途中で嵐に遭いこの地に漂着し、観音像を住人に預けたと言われる。そしてこれをきっかけとして、この島の仏教の聖地としての地位が築かれていった。

見所はすなわち寺である。この小さな島の中、いたるところに寺が点在し、うち34が開放されている。最も大きいのは島南部に位置する敷地面積3.7万平方m、建築面積1.5万平方mの「普済寺」である。后梁の貞明年間に建てられたもので、慧鍔が日本へ持ち帰ろうとした観音像の安置がこの寺建設の一つの目的だったようだ。普済寺の今の建物の原型は17世紀後半、清の康熙年代に再建されたもの。広い境内に広がるこの寺はかなり立派なものである。壁などが黄色に統一されて塗られているところが我々日本人にはめずらしい。

普済寺の前には「海印池」があり、この一帯は人通りも多くにぎやかなので、景色と人物を見ながらのんびりと歩いてみるといい。海印池には永寿橋という、いかにも中国人が好みそうな名前の橋がきれいにアーチを描いてかかっている。橋の両端に合計40の小さな獅子の細工があるが、子獅子を踏んでいるもの、子獅子を抱いているもの、鞠で遊んでいるもの等々、それぞれの姿が微妙に違い、見ていて飽きない。

島の中心よりやや北側に標高291.3mの「佛頂山(白華頂)」が聳えるが、その頂上に「慧済寺」がある。私はここにある竹林が普陀山一のスポットだと思う。寺に続く道に竹が茂り、竹のトンネルとなっている。日差しの強い夏の昼でもここは竹が影をつくり、常に風が流れている。中国の都市の雑踏からはまさしく別世界である。ところどころから海を望めるのも涼しい雰囲気を演出している。

普陀山三大寺と呼ばれるのは、普済寺、慧済寺と、慧済寺から参道で佛頂山を下ったところに位置する「法雨寺」の3つである。通常観光客はこの3寺を巡るようだ。

普済寺と港との間あたりに「紫竹林」がある。道から背の低い竹の林の間を抜けていくと海岸にでるが、ここに「不肯去観音院」という妙な名前の小さな寺がある。先に述べた日本の僧慧鍔が漂着したのがこの場所であり、不肯去観音院=日本へ行こうとしない観音の院という意味だそうだ。不肯去観音院のすぐそばには海水でできた洞窟「潮音洞」がある。この場所から見る海はなかなかなものである(左の写真をご覧いただきたい)。

紫竹林から南に少し歩くと「南海観音」がある。大きな観音像が海を見つめるように立っている。

普陀山には砂浜がいくつかあり、夏は泳ぐこともできる。といっても青い海を想像してはいけない。このあたりは揚子江が運んでくる土砂で黒ずんだ水の及んでいる範囲だそうで、ビーチから見る海の色は茶色系統だ。汚染されているためではなさそうだが、やはり抵抗がある人もいるだろう。海水浴が目的だったら、後で述べる「朱家尖」の方がいいかもしれない。

食事は普済寺の周辺に多数の小さな海鮮料理店があるので、ここで食べるとよい。店先に並べられたプラスチックの桶の中で泳ぐ魚や蝦、貝などの中から好きなもを選び、調理方法を指定する。直前まで生きていたものだから新鮮だし(といっても保証はできないが)、値段も普通にオーダーすれば1人数十元ですんでしまう。

★宿泊

普陀山で一番いいホテルは普陀山大飯店。ベット数326で、普陀山一の規模を誇るホテルでもある。施設もきれいで、満足いくものである。ただし、宿泊紹介所の案内には4つ星級と書いてあるが、上海のスタンダードでいう4つ星には明らかに劣っており、だいたい3つ星というところだろう。
 普陀山大酒店住所:梅岑路93号電話:0580-6092828

その他、3つ星級とされているホテルを紹介しておくと次のとおり。

 中信普陀大酒店住所:金沙路22号電話:0580-6092222
 宝陀飯店住所:梅岑路118号電話:0580-6092090
 息来小庄住所:香華街1号電話:0580-6091505
 緑縁山庄住所:法雨路115号電話:0580-6092588


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