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本ページでは他サイト等に掲載された大薗治夫の過去の著作物を再掲しています。

シャングリ・ラへ

ポコタン

そしてシャングリ・ラへ

朝一番のフライトで、今回旅行の最大の目的であるシャングリ・ラ=迪慶地区に到着する。

昆明の北西729キロ、麗江からは175キロに位置する。これまで空港がなかったが、99年5月に迪慶地区の中心「中甸」に空港ができ、アクセスが大変便利となった。

シャングリラ空港

飛行機をタラップで降りて、空港ターミナルまでは歩いていくのだが、ターミナルビル入口にチベット民族衣装を着た小姐がずらりと並んでいる。「中国もシャングリ・ラを新たな観光地とするために力を入れているんだなあ。こうやって迎えられると気持ちいいよね」などと思いつつ小姐の列にさしかかった。しかし小姐達は、私やその他の客が前を通っても、微笑みもしない。小姐達の前を通過した後振り返って見ると、一人の男性が小姐から首に白い布をかけてもらっていた。彼が小姐に迎えられる幸せな男だったのだ。

後で知ったことだが、この日の翌日に当地で年に一度の大きな祭りがあるためチベットから来賓何人かが招待されている。この幸せ男はチベットからの来賓の一人だったに違いない。白い布を首にかけるというのは、歓迎の意を示しているそうだ。

ここは、今回旅行のこれまでの訪問地とは全然違う。まず標高。シーサンバンナは約550m。昆明は約1900m。ここは約3200mである。このため温度も全く違う。シーサンバンナは日中30度を超えた。昆明も25度まで上がった。当地では20度くらいまでで、夜はかなり寒くなる。そして景色が全然違う。シーサンパンナの熱帯雨林、昆明の都会的風景に対し、ここは草原と山とヤクに囲まれた世界である。

ここでシャングリ・ラという言葉について説明しておこう。

シャングリラのオヤジ

もともとはJames Hiltonの小説The Lost Horizonに書かれた土地の名前である。この小説の大筋は
「第二次大戦中に中国―インド間飛行中の飛行機が不時着し、生き残った3人のアメリカ人パイロットが見たのは、永遠、透明、平和が支配する雪と草原とチベット人の土地であった。3人のアメリカ人はチベット人に助けられ生活し、最後は故郷へ帰っていく」
というものである。

James Hiltonは「シャングリ・ラはチベット地区にあり、雪山に囲まれた神秘の谷に位置する。藍色の湖、湿原、寺があり、多種の宗教が並存する。多民族が共存し、平和の中に暮らしている…」としている。

『走中甸』(雲南人民出版社)にその後の経緯について詳しく書かれている。ややわかりにくい記述もあるのだが、同書による説明の概要は以下のとおりである。

小説は話題となり、映画化もされる。「この美しいシャングリ・ラ」という歌も作られた。1971年にシンガポールにおいて最高級ホテルの名前として採用されるに至り「シャングリ・ラ」は誰一人知らない者はいない単語となっていく。

「シャングリ・ラという言葉に相応しい場所はどこか」ということが長い間話題となり続けてきたが、特定されずに時が過ぎていった。しかし95年、雲南省のある旅行会社職員が、あるきっかけでThe Lost Horizonに「シャングリ・ラという言葉は中国西南のある地区のチベット方言である」と書かれていると知り、「シャングリ・ラは雲南のチベット族居住地にあるのかもしれない」と考えた。彼は調査を開始し、迪慶州及び中甸県のチベット族幹部より、「高僧が「迪慶」という地名をつけた。チベット語で「迪慶」という音は、シャングリ・ラの同義語である桃源郷を意味する」との発言を得た。96年にシンガポールのマスコミ・旅行業界関係者12人が迪慶に調査に入り、帰国後、迪慶地区の宣伝を行った。雲南省も迪慶地区を観光資源として開発することに力を入れ、97月9月に「シャングリ・ラは迪慶チベット族自治州にある」と宣言した。このニュースは地球を巡り、世界中の注目となった。

シャングリラの馬

ホテルで一休みした後碧塔海へ。車で1時間ほど走る。まず町中を抜けるのだが、気づいたのは、ラサ以上に民族衣装を着た女性が多いということ。彼女達は必ず大きなバスケットを担いでいる。市場で買った物などを入れるのだそうだが、民族衣装を着ている女性の、私が見た限り、100%が担いでいたので、買い物等の目的なくちょっと外に出かける時にも、ハンドバックのような感覚で担いでいくに違いない。民族衣装の一部みたいなものだ。

町を抜けると草原地帯となる。牛やヤクの放牧が行われている。ところどころでチベット仏教の塔、ポコタンがたっている。車は少しづつ坂を登っていくが、小高いところから川が緩やかに流れヤクがのんびりと草を食む谷を見下ろすと、そこには平和で、ゆっくりと時が流れる世界があるように思えてくる。この景色がまさしく「永遠・透明・平和が支配するシャングリ・ラ」なのだろう。

車はさらに坂を登っていき、手元の標高計で3700メートルを超える。空気が薄いせいなのか、ラサでの辛い経験がよみがえり「自分は高山病になりやすい」という先入観なのか、なんとなく頭が痛くなってくる。雲の中に入り、辺りは真っ白でよく見えない。

町をでてから約1時間で駐車場に到着。ここから馬に乗り換える。馬で針葉樹の林の中を斜面を下っていくこと約20分で平坦な沼地にでる。その後沼地を15分ほど歩くと湖畔に着く。

碧塔海

この湖は山々の間に隠れるようにして存在する。観光客が多いのと、観光用の小ボートが浮かべられているのが難点だが、ちょっと歩いて人の声のしないところまで行けば手つかずの自然を満喫できる。湖沿いに自然に形成された歩道があるので、これに沿って30分ほど歩いてみた。ここまでくれば人工のものは全て視野からなくなる。

ただ思ったのは、この自然の景色が今後どのくらいもつのかということだ。去年来ればさらによかっただろうと思うと同時に、来年再び訪れた時には同じ景色はもはやない見られないだろうと思う。新彊ウイグル自治区の天地ほどではないにしても、ここも世俗化されつつある。開発をするにしても自然を充分に残しつつと切望したい。

帰りかけにチベット族の家を見せてもらい、中甸に戻る。

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