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本ページでは他サイト等に掲載された大薗治夫の過去の著作物を再掲しています。

神々と日焼けと高山病のチベット

高山病を甘く見てはいけない

経済指標

さてここでチベット経済についていくつか数字を示しておこう。96年の統計によると、チベット自治区の人口は244万人。自然増加率は16.2‰で中国の省、1級市(当時は北京、上海、天津(現在はこれに重慶が加わる))、自治区の中で一番高いが、これは少数民族に対しては一人っ子政策が適用されず、そのため出生率が24.7‰とやはり中国一高いためであろう。95年の国内総生産は56.0億元で、省、1級市、自治区のうちで最も少ない。2番目に少ない寧夏自治区に比べても約3分の1である。といっても最貧困というわけではなく、一人当り国内総生産は貴州省、甘粛自治区に次いで少なく2392元である。95年の成長率は、江蘇省や浙江省等の高成長地域をさらに上回り、省、1級市、自治区で最も高い17.9%であった。この理由としては、後に述べる沿海地域と内陸部の経済支援のペアリングが成果を収めつつあること、中央からの手厚い財政等援助が行われていること、観光産業が伸びていること等によるのであろう。産業別に見れば、国内総生産のうち第一次産業が41.9%、第二次産業が23.8%、第三次産業が34.3%と第一次産業の比率が極めて高い。第一次産業の比率は省、1級市、自治区のうちで最も高く、他方工業の比率は最も低い。


高山病

高山病対策は種々聞かされていた。例えば、水分を多量にとるとよいそうだ。空気が乾燥しているため体内の水分が発散しやすいが、血液中の水分が減少すると血流が悪くなり、酸素が体内に行き渡らなくなるとのことだ。また、体内の酸素必要量を極端に増やさないために激しい運動はさけるべきだそうだ。かといって全く動かないのも良くないらしい。散歩程度の運動をしたほうが順応が早いらしい。

ラサ到着の直前から水分を多量にとり、ホリディイン到着後は3時間ほどカフェでコーヒーを飲んだりしながらのんびりし、午後3時頃より2時間程大昭寺をゆっくりと観光した。大昭寺は起伏もなく軽い運動という意味では最適と思われたからだ。

でもだめだった。ホテルに戻ってきたころに軽い頭痛とめまいを感じ、7時に食事をした時には体が非常に重くなっていた。部屋に戻りベットに倒れこむ。体温を測ると38度を超えている。チベットの一定レベル以上のホテルには酸素袋が容易されている。酸素袋とは、酸素の入っている枕状のものに細いホースがついているもので、約15分程酸素の吸入が可能である。ハウスキーピングに酸素袋を持ってきてもらう。最初は「いやあ、チベットに来たからにはこれも経験しなくちゃね」などと余裕をもっていたが、事態は時を追うごとに厳しくなってきた。酸素を吸うとすぐに0.5度程体温が下がるのだが、15分も吸わないでいると0.8度程上がってしまう。38.5度を超えた頃から寒くてどうにもならなくなった。10時半頃39.5度に達したのでホテル内のドクターを呼んだ。しかしこのドクターがいい加減な男で、いきなり
「高山病じゃない。肺炎だ。チベットに来る前に風邪を引いていただろう。胸が重い感じがするだろうだろう」
と言った。私は苦しみながら、
「いいえ引いていません。全く健康でした。別に胸に重い感じもありません。」
と言ったものの、彼はひるまず、
「これは肺炎だ。高山病なら薬を持っているが、肺炎は病院にいかなくてはならない。」
と言って、趙さんのポケットベルを呼び出すため電話を掛け始めた。このポケットベルの呼び出しは電話局に電話をし、小姐に呼び出し先の番号、自分の名、コールバックを受ける電話番号を告げるタイプのものだ。このドクターはこの小姐と、
「君は○○ちゃんだね、声で分かるよ。最近元気?」
などと雑談を始めた。すぐ横に40度近い熱を出して倒れている患者がいるのにである。

趙さんを待つ間、私も結構なさけなく、「このまま1時間に1度づつ体温が上がり続ければ、今39.5度だから、朝3時頃には43度になって(頭がもうろうとして計算を間違っている。)死ぬかもしれない。上海の部屋を片付けてきたかな。スケベな雑誌があったらはずかしいな」などと考えていた。

11時頃趙さんが到着し、U君と3人で病院に向かう。人民病院というチベット一の病院である。しかしここからがまた順調にすすまない。私は酸素吸入さえしてもらえばとりあえず熱は下がるとわかっている。内科で妙に無愛想な問診を受け、レントゲンを撮ってこいと言われたので病院の真っ暗な廊下を5分ほど歩いてレントゲン室に行き、そこにレントゲン技師がいなかったので20分ほど待たされ(この時点で体調はさらに悪くなっている。40度は超えていたであろう)、妙に無愛想なレントゲン撮影後また5分ほどふらふらしながら内科に戻り、さらに10分ほど待たされてやっと酸素にありついた。1時間の酸素吸入だが、私の思ったとおり、酸素を吸い始めて5分もした時点で体調はかなりよくなった。

同時に周りの状況に注意がいくようになり始めたのだが、どうもさっきから女性の呻き声が聞こえる。U君に「お産?」と尋ねたところ、「女性が廊下で倒れている。」とのことである。5分ほどしてその女性が私の隣のベットに運ばれてきた。チベット語でドクターが呻く女性に何か叫んでいる。趙さんにどうしたのか尋ねると、自殺をしようと毒を飲んだらしい。しばらくして女性も静かになった頃に、交通事故の急患の治療のためにドクターが部屋を出ていき、そしてU君、趙さんもその様子を見に部屋をでていってしまった。自殺未遂の女性と狭い部屋に二人だけというのも妙な気分だ。時折叫び声を上げられるのでかなわない。

1時間の吸入が終り、内科で解熱の注射を尻に打たれ(尻に注射を打たれたのは生まれて初めてだった。女医さんにズボンを脱げと言われた時は結構とまどった)、ホテルに戻ることとなった。ちなみに後でU君から聞いたことだが、ずいぶん細切れに金を払ったらしい。最初の内科の問診で2元その場で払い、レントゲン室の手前でレントゲン代10元を払い、内科に戻り酸素吸入代1元を払い、というふうにばらばらと支払ったそうだ。それでも全部で約80元(約1100円)しかかからなかったそうだが。

12時30分頃ホテルへ戻る。注射が利いたのかすこしは楽だ。でも眠れない。苦しい夜であった。後からU君が言うには「死ぬ」とか「もうだめだ」とか一晩中さけんでいたらしい。全く覚えがない。

なお先述のようにホリディインは1泊1室1000元強と高いので、ラサ滞在中のみケチってU君と部屋をシェアすることとした。でもこれはまさしく不幸中の幸いであった。酸素袋の取り寄せ、頭に載せる濡れタオルの交換等いろいろ助けてくれた。ありがとうU君。

高山病はその後も私を苦しめ続けることとなった。チベット第2日目の夜には37度台まで熱は下がったが、同時に下痢と頭痛が始まった。さすがに前日ほとんど寝ていないので、この夜は3度ほどトイレにいったものの眠れたが、翌々日の夜は頭痛で朝5時まで眠れなかった。食欲がなく果物しか食べれず、昼の観光もふらふらしながら下痢の恐怖と戦わねばならず(ご存じのように中国の公衆トイレは壮絶である。相当の勇者でなければあそこではできない)、夜は夜で不眠に苦しまされる。ほとんど苦行である。

高山病になり酸素に極めて敏感になった。空気の悪いところではすぐに頭が痛くなる。寺の中はほぼ密閉されており、さらに人は多いし、ろうそくはもやしているしでテキメンである。他方で昼間の木陰は光合成が行われているせいか幾分マシである。


ラサ

高山病で苦しんだとはいえ、部屋でずっと寝ていたわけではない。チベット初日は先述のとおり大昭寺を参観した。ラサ最大の寺である。7世紀の初めにチベットを統一し吐蕃王国を建てたソンツェン・ガンポはネパール及び唐から王妃を迎えたが、この寺はネパールからの王妃ティツンが建設したと言われる。寺の中心には唐からの王妃文成公主が唐から持ち帰ったと言われる釈迦牟尼像が本尊として祀られている。ここはチベットの寺院の総本山ともいうべき寺であり、地方のチベット人が1生に1度は訪れたい場所とのことである。寺の門前や中では多くの人が五体投地(地面に這いつくばる全身を使った祈り)を何度も繰り返している。寺の外観も中もともかく派手である。建物の屋根は金ピカで、中の仏像もトルコ石等の宝石や赤や白の布等で華やかに飾られている。壁画にも原色がたっぷり使われている。寺の中はバターの匂がきつく床もバターでぬるぬるしているが、これはろうそくのロウの変わりにバターが使われているためである。バターは参拝者が持ち寄るとのことである。

大昭寺の周囲は八角街と呼ばれる。寺の外側を1周するように商店が並び衣類・食品等の日用雑貨品、骨董品、電化製品などが売られている。面白いのは人が皆右回りに流れていることである。寺院内は全て右回りに参拝することとされているが、そのしきたりが町においても実践されているのである。街なみの写真を撮るときは人の流れに逆行するように撮ろう。さもないと写真に写る人物が皆尻を向けているということになってしまう。

家々の窓枠や戸口の周りには色彩鮮やかな飾りがつけられ、窓の外には植木鉢が置かれている。商店の看板や道路標識にもチベット語が書かれ、街で聞かれる言葉もチベット語である。時折民族衣装を着けた人も見かける。皆日にやけ顔が真っ黒である。漢族の町はどこへいっても大して変わらないが、さすがにここは別世界という感じがする。

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