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神々と日焼けと高山病のチベット

標高5600m!

ギャンツェ

第5日目は朝よりパンコル・チョエデというとても覚えられない名前の寺院を見学する。ここでの見所はパンコル・チョルテンというこれまたややこしい名前の複雑な形をした塔である。8層の中に75の部屋があるそうで、各部屋には仏像が置かれている。各部屋の仏像はそれぞれ違い、見ていて飽きることがない。ある部屋で女性と性交している守護尊の描かれた壁画を見つけた。女性との交わりを悟りの手段としているとのことだ。特別な技術を要するのだろうか。

ラサでもシガツェでも、そしてここギャンツェでも思ったのだが、チベットへの外国人旅行者のほとんどが欧米人で日本人は少ない。見た感じでは、外国人旅行者のうち50%がヨーロッパ人、20%がアメリカ人、15%が香港人、10%が日本人というところか。ちなみに上海では日本人観光客が最も多く、ヨーロッパ人は日本人の3分の1もいないであろう。チベット旅行者にヨーロッパ人が多く日本人が少ない理由はいくつか考えられる。

第一に休暇の長さの違いである。チベットへの飛行機は成都、西安、カトマンズからしかなく、かつチベット到着後高山病の影響で2~3日間の活動はどうしても制約される。従って中国外から来てチベットを一通り見るには少なくとも2週間程度を超える休暇が必要である。ラサのポタラ宮屋上で休憩していたときにオランダ人カップルとドイツ人カップルに出会ったが、オランダ人はネパールからチベットに入っており、チベットはすでに1週間目で、この後も成都、昆明と観光するそうで、ドイツ人は北京、西安と観光してきて、チベットは4日目で、この後は成都経由バンコクに抜けるそうだ。いずれも1カ月前後の休暇をとっているに違いない。普通の日本人にはちょっと無理だ。

第二に、体質的な問題も関係しているかもしれない。今回の旅行の印象では、どう見ても、女性より男性、欧米人よりアジア系の人の方が高山病で苦しんでいるようだ。医学的根拠はわからない。日本人にはチベットとかアンデスとか言えば高山病が怖いという印象があるが、欧米人はそうでもないのかしれない。

第三に、欧米人は秘境が好きなのようである。雲南省にも多くの素晴しい観光スポットがあるが、ここも欧米人ばかりで日本人は極めて少なかった。先日まである日本人の知り合いの娘が上海に半年間滞在していた。彼女は東京のインターナショナル・スクールを卒業し現在アメリカで大学に通う日本語より英語の方が上手いという女性だが、中国滞在中は、いわゆる秘境ばかりを旅行していた。彼女に問えばそのような秘境好きの友達は多数いるとのことである。日本人にも若者に秘境好きがいるが多くはない。卒業旅行もヨーロッパ・アメリカが大多数だ。

第四に、欧米人の持っているガイドブックが充実していることである。これには行く人が多いから質の良いガイドブックが作られ、ガイドブックが良いから行く人が増えるという相乗効果が働いているのだろう。

11時にギャンツェを出発し、ツェタンに向かう。約330kmの道のりで途中2つの峠を超える。出発してから徐々に高度を上げつつ砂利道を進む。途中道が跡絶える所も数ヵ所あったがランドクルーザーはひたすら走る。尻は痛いし、髪の毛は土埃でゴワゴワになるが車窓から見える景色はすばらしい。まず菜の花畑の谷を2時間程走り、その後は高度を上げつつ、頂に雪を抱く7000m級の山のすぐ横を登っていく。峠に近づくと万年雪の間を走るようになる。道路の脇に小川がずっと流れている。水は澄み、もちろん飲める。中国で川の水を飲むなんて実に不思議な気分だ。こんな高地でもヤクや羊の放牧が行われており、車を止めるとすぐに人なつこい、真っ黒に日焼けした遊牧民がもの珍しそうによってくる。「上海に帰ってからコーヒーを入れよう」と思いたち小川の水を汲みにいったときである。ヤクまでよってきた。30頭程のヤクに追っかけられるとかなり恐い。慌てて車に戻った。午後2時にカローラ峠を越える。標高はなんと5600mだそうだ。頭が割れそうに痛い。

峠を過ぎ一気に標高4000mまで高度を下げ、ナンカルツェに到着する。ここは外国人には公開されていない町だそうだが、食事程度なら大丈夫とのことである。小さく暗く、衛生的という言葉からはほど遠いレストラン(食堂と言うべきか)でチベットそばを食べる。辛い。でもなかなか美味である。上海ではこのような小食堂には肝炎が怖くてとても近づけない。しかし旅行中というのは不思議なもので平気になってしまう。

ナンカルツェの町を出発して15分もするとヤムドゥク湖の湖畔にでる。空の色と同じ色をした美しい湖である。しばし湖畔に車を止めのんびりする。湖畔を1時間程走った後湖から離れ、2つ目の峠越えに入る。カンパ・ラ峠は標高4500mで、眼下のヤムドゥク湖と湖の向こうに見える7000m級の山々の景色がすばらしい。峠を越えてからは一息に標高3500m程度まで降りる。峠では万力で頭を締め付けられているようなとてつもない頭痛がしていたのだがすぐに直った。その後は舗装道路に変わり、ヤルチャンポ川の悠々たる流れに沿って走り、午後7時にツェタンに到着。標高は3200m程度とのことである。

以上のギャンツェーツェタン間は車窓に飽きることのない実に景色の素晴しいルートである。

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