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西施を助手席に載せて杭州近郊をドライブ

前回に引き続き中国における運転の掟についてもう少し述べてみたい。

遠距離ドライブにも各種のルールがある。これを知らないと目的地にはいつまでたってもたどり着けない。

遠距離ドライブで困るのは頼れる地図がないことだ。日本で遠方に行くときは必ず全国版の道路地図を持って行く。し かしここでは基本的にそんなものはない。高速道路を利用する時は、インターチェンジから一般道路に出たところでその 町の地図を売っていることがよくあるので、見かけたら迷わず買おう。高速道路の出口あたりでは『帯路』という看板を 持った人々も見かけるが、彼らはヒッチハイクしているわけではなく市街地の案内をしてくれるそうだ。ちょっと恐くて 試したことはないが、聞くところによると一回の案内で数百元とられる場合もあるそうだ。

地図がない場合には道路表示を睨むこととなるが、これにはあまり頼ることができない。まず数が少ない。日本では、 その地を初めて運転する人が不安になってくるころに次の表示が現れる。しかし中国では、不安のため耐え切れず一度U ターンし暫く走り、やはりこの道しかないと思い直し再びUターンし戻ってきて、不安を越え「もうどうにでもなれ」とい う気持ちになった頃に次の表示が登場する。久しぶりに道路標示を見て、自分が正しい道を走っていることを知った時の 喜びは経験した人にしかわからない。表示に従っていけば目的地にたどり着けると考えるのは大きな間違いだ。表示は気 まぐれに立てられており、交差点で曲がらなければならないような時でも何も表示がないということがよくある。表示さ れている距離も信用できない。上海に向かって走っている時に、『上海まで150キロ』という表示を見た後5分ほどしてか ら『上海まで158キロ』という表示が現れることもある。

地図もなく、道路標示も信用できないとなると人に道を聞くということになるが、これにはテクニックを要する。一般 の歩行者に聞いても全く時間の無駄だ。彼らは方角もあまり分かっていないのに「あっちだ」とか平気で言う。道を尋ね た相手の言葉を信じれるかどうかのキィがある。「応該」と言った時はまずだめだと考えてよい。中国語の授業では「応 該」は「に違いない」という意味だと習ったが、実は「ひょっとしたら…かもしれない」程度の意味なのだ。聞く相手と して信用できるのは、公安、料金所の係員。彼らは表現が悪くてわかりにくいこともあるが間違ったことは言わない。次 によいのは長距離トラックの運転手、そしてタクシーの運転手と続く。

そうこう苦労しながら目的の町に近づいた時も油断してはいけない。ここからが最もわかりにくいのだ。例えば杭州か ら上海に来るような場合に、上海から遠い地点にいる時は道路標示に『上海』という文字が書かれているが、上海市内に 入ると『上海』という表示はなくなり○○橋とか、○○路とか聞いたことがないものが表示されるようになる。道路標示 もだめ、人に聞いてもだめという状態で役立つのが方位磁針だ。冗談のようだが中国でのドライブには必需である。中国 全土の地図によろうが地球儀によろうが構わない。出発前にともかく目的地の方角だけは調べておく。そして道に迷った らひたすらその方角に向かって突き進むのだ。私は昨年カシオのプロ・トレックを買ったが、その理由のうちの一つが中 国でのドライブで迷わないためである。方位磁針がない場合はどうするか。太陽の方向を見るか、木の切り株でも見て ボーイスカウトのようにして進むしかない。

夜の運転。可能なかぎり避けるべきだ。

上海市内の場合。特に夕暮れ時が危ない。教習所でも習ったが、暗くなり初めというのは目も慣れていないし、ラッ シュで人や自転車が縦横無尽に走りまわる。人や自転車に接触すると(私は幸い経験がないが)、一瞬のうちに人だかり の中心となり、「お前が悪い」、「いやお前が悪い」と言い合う野次馬の餌食となる(そう言っているのだろう、上海語 がわからないのでよくわからない)。夜中になると車も少なくなり走りやすくなるが、信号無視をする車がいるので交差 点では油断をできない。またなぜか古いバスは無灯火なことが多く、スピードを出して走っていると追突しそうになる。

蘇州や杭州など上海以外の都市の場合。街灯が暗いので、目があまりよくない私などは大変恐い思いをさせられる。その上道がわからないので実につかれる。

郊外を夜運転するのが最も恐い。冬の午後に青浦でゴルフをする場合、暗くなってきたらプレーを途中で切り上げても 帰路につくべきだ。318号線には街灯は基本的に設置されておらず真っ暗である。そこに突然人が飛びだしてきたりする。 対向車がほとんどない道では車道の真ん中を走り、仮に人が飛び出してきてもコンマ数秒の余裕を持った方がいいだろ う。想像を絶する低スピードで走るトラクターもかなり恐い。テールランプなんてないのでボーとして走っていると追突 する。郊外での運転には一つのテクニックがある。自分とほぼ同じペースで走る車を見つけたらそれにぴったりくっつい て走るのだ。何かをはねるのなら前の車である。目的地の町のナンバープレートを付けた車ならなおよい。何も考えずに ついていけば自然に目的地にたどりつくことができる。

今回の小旅行の第二日目には杭州から南を目指した。まずは杭州から約90キロ程度のところにある桐君山。富春江・分 水江の交わるところに位置する高さ60メートル程度の小さな丘である。頂上まで簡単に登ることができ、そこからは二つ の川と川にかかる橋などを見下ろすことができる。ガイドブックに「頂上から見る風景はすばらしく、「峨媚諸峰不及比 奇」(峨媚山も及ばない)という1句がその景観をよく表している」と書いてあるが、まあそんなに気張るほどのもので もない。頂上の寺の中に占い師がいる。串が数十本入った筒を横にして揺すり、最初に筒から出てきた串に記された番号 によって運勢を占うというものだ。助手が番号に対応した紙を取り出し、占い師がその紙に書いてある内容を解説する。 要はおみくじであって、そんなに特殊技能を必要とするとも思えないが一人100元もした。「あなたの運勢は今日来た人の 中で一番いい」と言われたのでまあいいが、もし悪い運勢だったら実に不快になるに違いない。

次に瑤林仙境。かなり大きい鍾乳洞である。鍾乳洞は奥へ奥へと延々に続く。外は9月上旬ほどの暑さなのだが、鍾乳洞 の内部の涼しさは心地よい。中間地点あたりから奥は中国の伝説を表現した蝋人形の展示がなされている。さながら巨大 な蝋人形館である。最深部から入口までは鉄道があり、それに乗って駐車場へ戻る。鍾乳洞自体は結構規模も大きくおも しろいのだが、なにしろ人が多いのにはまいった。うるさくてまるで南京路を歩いているようである。

その他杭州の南一帯には滝とか湖とかいくつかのスポットがある。地図を見てみると明らかだが、上海から杭州の間は 平地であるがそれより南は山地となる。上海の雑踏からやってくると緑の気持ちよさを楽しめる場所である。私は国慶節 の時期に来たため人が多くややうんざりしたが、人が少なければ、静かな場所を探してのんびりしてみるのもいいに違い ない。

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